過去と未来の消失点

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 が歩いていると、後ろから声を掛けられた。振り向けば、スクールを終えた秀一が少し離れた場所から歩いてきていた。
「よう、秀一。一週間ぶりだな」
 片手を上げる。は同年代の子どもたちがセカンダリースクールに進学する時も、引き続きホームエデュケーションで学ぶことを選んだ。
 道路を渡ってくる秀一を見て、立ち止まって待つ。
「帰ってきていたんだな」
「まあな」
 の家は別荘を所有している。正確には別荘という名の研究室で、母親が建てたものだ。通院のついでと称して泊まり込んでいるが、以前から度々泊まり込んでいる。最近は臣も一緒にホログラム機能搭載の腕時計を改良したり、今後必要になりそうな道具を試作しているのだった。
 秀一はの家の詳しい事情は知らないが、母親の通院や別荘については知っている。そういうこともあり、が度々家を空けることには慣れていた。
「秀一はスクールの帰りだよな。おかえり」
「ああ。ただいま」
 隣を歩く秀一の視線がの手元に移る。
「もしかして、うちに来るところだったのか?」
 が持っているのは、シンプルにラッピングされた焼き菓子だ。別荘に行った時には必ず買って帰るもので、友人と遊ぶ際に出すことが多い。が自分の家とは逆の方向に歩いていたこともあり、秀一は大体のことを察したのだった。
「当たり。秀吉の見舞いに行くところだったんだ。メアリーさんから聞いたよ、風邪を引いていたんだって?」
 秀吉もこの焼き菓子を気に入っていたので、持って行くようにと母親から渡されたのだ。は菓子をボディバッグに入れて、再び歩き始めた。
「帰ってきたばかりなのに悪いな。……おばさんの体調はどうだ?」
「……う~ん」
 良いとは言えない。けれど悪くはなかった。の母親は淑やかな見た目に反して大胆な性格で、気丈な人だ。本人自ら終活と称して、研究やの指導に精を出している。
 突然この世を去ることになった父親とは違い、良くも悪くも母親には一人息子と過ごす猶予があった。彼女は強い意志で自分の持っている全てを息子に伝え遺そうとしている。そんな母の深い愛情に気付けば、もそれを受け止めるしかない。残された時間を大切にすごそうと思ったのだった。
「良くはないけど、今のところは落ち着いているってさ。本人はすこぶる元気だぞ」
 は本当のことを言った。秀一はの意図に気付いた上で、一つ頷いた。
「そうか……」
 それでも元気そうなら良かったと秀一が言う。その穏やかな声はの胸の内を柔らかく包んだ。
「気にかけてくれて有難うな。メアリーさんにも心配をかけているみたいだし、なんだか悪いな。俺からしたらメアリーさんだって大変だろうし、務武さんも忙しそうで心配だ」
 そう言うと、秀一はの言いたいことを理解して口端を上げてみせた。
「父さんはまだ暫くは忙しいだろうな。時々メールがくるから、元気にはしているんだろう」
「なら良かった」
「それはそうと。秀吉のやつ、が帰ってきたら対戦するんだと言って待ちわびていたから、夜まで相手をすることになるかもしれんぞ。母さんに買ってもらった将棋の本も勧められるだろうな」
 少し呆れたように言ってはいるが、その眼差しは柔らかい。は笑って、秀一の肩に腕を回した。
「いいさ。俺も楽しんでいるからな」
 なにより、秀吉のことは弟のように思っている。秀一もそれをよく知っていた。
「ああ、そうだ。本と言えば、あの小説の新作が出て──」
 二人が好んで呼んでいる推理物の小説の話をしようとした矢先、は違和感を覚えた。秀一の家に行く時に通る、フラットが数軒立ち並ぶ景色。そのうちの二つは改築中で入居者募集になっているからか、庭の木々が無造作に伸びている。
 その景色はいつも通りのようで、何か違う物を見た気がした。肌寒い季節がきてから早々に日が暮れ始めるので、辺りは既に薄暗くなっている。
 違和感が気になって思わず喋るのを止めただったが、立ち止まることはしなかった。
「どうした?」
 の変化に気付いた秀一が、少し声を潜めて尋ねた。
「あそこの、改装中のフラットの近くに車が停まっているだろ」
 も秀一と同じように声を潜めて返す。視線で示すと、秀一はすぐに理解した。
「二台停まっているな。……ん? あれは」
「秀一も気付いたか? あの白い車、マークじいさんの車だよな」
 マークというのはの家の隣人で、バディの飼い主だ。妻と二人暮らしの老夫婦とは顔見知りで、バディの散歩を代行することもある。
「前のシートには誰も乗っていないな」
 二人は通りかかる素振りでゆっくりと歩きながら、茂みの向こうに停められている車の様子を窺った。
 持ち主の気配がないことで更に不審さが増す。バディの姿も見当たらないと思ったその時、秀一は茂みと車の隙間に見慣れたブラウンとホワイトの毛並みを見つけた。
、あそこを見ろ。バディがいる」
「……様子がおかしいな」
 離れたところから目を凝らして見る限りでは、身動きせず地面に伏せているように見える。
「行ってみよう」
 頷き合って茂みの方に駆け寄ると、思った通りバディがいた。痛めつけられたのか、どこかに打ち付けたのか、弱った姿が痛々しい。一部の毛に赤黒い色が滲んでいて、擦過傷のようになっていた。
「何かあったのは間違いないな」
「ああ」
 秀一が通報するために携帯電話を取り出す。そうしているうちにバディが頭を上げた。が声を掛けると尻尾が揺れて、なんとか起き上がろうとする。怪我をしているものの、命に別状はなさそうだと、二人は胸を撫で下ろした。
 その時、は風に混じる煙草のような独特の臭いに気付いた。嫌な気配を察知して後ろを振り向く。
「──っ」
 目の前に現れたものが何かを理解するより先に、体が反応した。素早く身を捩って転がり避けたが、すぐに次の衝撃が襲ってきた。
!」
 一瞬のことで、秀一が気付いた時には見知らぬ男がの手を掴んで押し倒していた。秀一は助けようと思ったが、背後に忍び寄る足音を聞いて咄嗟に飛び退く。手元の携帯電話が弾かれて、数メートル先に落ちた。体勢を整える前に重い衝撃をくらい、思わず呻く。
「──ぐッ」
「秀一っ!」
 は地面に押しつけられながら、思わず秀一の名前を叫んだ。その声に、今まで力無く横たわっていたバディが反応して起き上がる。野生の獣のような唸り声をあげたかと思うと、を押さえ込んでいる男の脹脛に噛みついた。は突然のバディの行動に驚いたが、男の力が弱まった隙を逃さなかった。
 渾身の力を込めて男の腹を蹴り上げ、のし掛かる重さがなくなった瞬間に素早く横に転がる。そのまま起き上がると、秀一がもう一人の男に砂利を投げつけたのが見えた。視界を奪ったのだ。
「このっ、クソガキ!」
 視界を奪われた男が、懐から拳銃を取り出した。しかし目が開けられないようで、闇雲に銃を撃とうとしている。危機感を覚えた秀一が距離を取ろうと下がった時、妙な破裂音が響き渡った。
「ッ!! ああっ、手がっ……いてえ!」
 男が血だらけの手を抱え込んで痛みに呻く。改造銃だったようで、暴発したのだ。
 モデルガンだとしても銃規制が厳しいこの国では、改造所持しているだけで問題だ。しかし、今回は本物ではなかったことが幸いしたらしい。少なくとも、この銃はもう使い物にならない。と秀一は状況を理解して、目配せをした。
 バディの容赦のない攻撃は尚も続いている。バディは肉を食い千切る勢いで男の足に食らいついていた。普段は温厚な性格なのに、まるで獣のように剥き出しの歯を食い込ませて獰猛に肉を抉りにかかる。執念に 近いその姿は、と秀一を守っているようだった。
「このクソ犬っ、ぶっ殺してやる!」
 この男の銃も都合良く使い物にならなければ良いが、そんな幸運を願っている場合ではない。は近くに立てかけてある棒めがけて、飛びつくように動いた。掴み取ると両手で握りしめ、バディに銃を向けた男に渾身の力を込めて振り抜く。
「ぐえッ」
 男は潰れたような声を上げて地面に倒れ伏した。はずみで男の手から拳銃が飛んでいく。秀一が相手をしている男を確認すると、まだ目がまともに開けられないようだった。今しかない、そう思った。
「バディ!」
 バディが力を振り絞って立ち上がる。続けて秀一がついてくるように声を掛ければ、真っ直ぐに二人の元にやってきた。走らせるのは本意ではなかったが、バディは健気にも二人に続いて走り出した。
「くそっ! おい、外に来い!」
 後ろで男が仲間を呼んだ。頭上からバタンと音が聞こえ、三人目の存在に緊張が走る。は咄嗟に、視界に入った拳銃を拾った。
 走りながら見上げると、サングラスをかけた男が二階の窓から見下ろしていた。手には銃を持っているのが見える。モデルガンなのか本物なのかは分からないが、直感で本物だと思った。無意識のうちに見た秀一と目が合う。二人の顔は互いに同じ事を考えているように見えた。
 それでも簡単には撃たないだろうと思った。いくら薄暗いとはいえ、閑静な住宅街で発砲などしたら目立つどころの騒ぎではない。
 しかしと秀一の予想を裏切って、外に出てきた男は躊躇なく二人を狙って発砲した。
「──っ!」
 瞬間、ほぼ同じタイミングでは地面に散らかっている枝に足を取られてしまった。体がぐらつく。滑った足の膝が地面につく寸前で踏ん張った時、直ぐ傍の木の枝が砕けて飛び散った。
 銃弾が当たったのだ。あの銃はエアガンでもモデルガンでもない、本物だ。
「くそっ」
 悪態を吐くの前を走りながら、秀一も眉を潜めた。目撃者かどうかも分からない子どもを襲うほど後ろ暗いことをしたのなら、深追いするよりもさっさと逃走するところだろう、と。
 発砲したことで周辺に異変を知らせる状況になった。きっと近所の住人が発砲音を聞いてしまっている。と秀一にとっては悪いことではなかったが、三人目の男が持っている銃が本物だったのは最悪だ。おまけに引き際を知らない。更に面倒なことに男は足が速く、あっという間に距離を縮めてきた。
「バディっ」
 曲がり角まであと数メートルところで、少し前を走っていたバディの足がもつれた。すぐに立ち上がれずに足掻く姿に、秀一が抱えに向かう。
 男が銃を構えるのが見えた。全身が総毛立つ。一瞬が果てしない時間に感じる中で、は覚悟を決めた。腰を落としながら振り向き銃を構える。肩と腕を固定し、足を狙って引き金を引いた。


2



 夜の帳が下りた街に、目映いネオンが煌々と輝いている。その中の一つであるカジノホテルリゾートは、ゴールドを基調としてライトアップされ、青みがかった夜によく映えていた。目が眩むほどの光が、ラスベガスの一角を華やかに彩っている。
 カジノが建ち並ぶ街並みの美しさは、人間が持ち込む欲を飲み込んでこそかもしれない。罪深い光と凪いだ夜が織りなす景色は幻想的で、人々を誘い呼び寄せているようだ。
 今宵もカジノフロアには賭け事に興じる人々が集い、一夜の夢を楽しんでいた。はゲームを終えてプレイヤーたちと軽く言葉を交わすと、テーブルの上のカードを整える。
「エヴァンズ、ちょっといいか?」
 声を掛けられて顔を上げると、シフト・マネージャーが呼んでいた。常連のVIP客と並んで、こちらに向かってきている。どうやら、のゲームが一区切りつくのを待っていたようだ。
 エヴァンズというのは、が変装して成り代わっている男の名前である。アシェル・エヴァンズというディーラーに変装して、彼の勤務先のカジノに潜入しているのだ。声は勿論、髪や顔は普段の変装方法ではなく、特殊メイクの要領で変えている。体格がほとんど変わらないのは丁度良かった。
「やあ、アシェル。調子が良さそうだね」
 リチャード・マクレガーは上質なスーツを着こなし、いかにも紳士という出で立ちの男だ。落ち着いた雰囲気を持ちながらも、背筋を伸ばして颯爽と歩く姿は若々しく、実際の年齢を知らなければ四十代に見える。
 近年業績を伸ばしているカンパニーの社長で、資産家一族でもあり、裕福な家庭で育った。物腰柔らかな印象に反して、経営面では平気で汚い手を使う人間だ。父親が政界に強力なパイプを持っている傍らで、マクレガー家はもともと軍事産業で儲けており、裏ではテログループと繋がっている。なかなか焦臭い一家だ。
 アシェルはテログループの幹部を務める人物の身内で、マクレガーに目をかけられている。直接の接点ができたのは最近のことだが、アシェル自身のディーラーとしての腕はなかなかのものなので、コネクションを使ったことは同僚達には気付かれていない。
「腕を上げたと聞いてね。また会えるのを心待ちにしていたのだよ」
「光栄です」
は和やかに礼を述べた。本物のアシェルの仕草を模倣しながら、彼が口にしそうな言葉を適切に選んで紡ぐ。
「今夜はきみにゲームを担当してもらおうと思っているんだが、どうだろう?」
 ゲームとは言っているが、彼らの目的は裏取引だ。マクレガーを担当するということは、VIPルームに入るチャンスである。断る理由はない。
 勿論、の答えはイエスだ。VIPルームでの会話を盗聴するため、アプリをインストールした機械を仕込むのが最大の目的だ。マクレガーの携帯電話を遠隔操作するのが一番手っ取り早いのだが、先日携帯電話を買い換えてしまったようで、使い物にならなくなっていた。どうやら襲撃されたらしい。
 既に得ていた情報を照らし合わせると、今夜カジノを訪れることは確定事項だった。より詳細でリアルタイムに情報を得たい臣としては、この機会を逃す手はないというわけだ。
 マネージャーにシフトの調整を頼もうとしたところで、オーナーが此方に向かってきているのが見えた。
「構わない。既にシフトは調整している」
 オーナーは辣腕をふるう実業家だが、裏では隣国の麻薬カルテルと繋がっている。名の知れた高級リゾート施設が、当たり前のように麻薬密売に侵されているのだ。
 しかし力を付けるということは、それだけ目に付きやすくなるということでもある。ここ最近で取引の規模を拡大したこともあり、既にDEA(司法省麻薬取締局)にマークされている。
「だそうだ。引き受けてくれるね?」
「ええ。喜んで務めさせて頂きます」
 が答えると、マクレガーは満足げに頷いた。
「今夜は楽しい夜になりそうだ」
「それでは、こちらにどうぞ」
 マネージャーがフロア奥にあるVIP専用の部屋へと促す。は半歩後ろに下がって、オーナーとマクレガーの後に続いた。


 二時間ほど経ってVIPルームの任を解かれたは、ちょうど休憩時間ということでフロアを後にした。
 首尾良く機械を忍ばせることに成功し、会話を聞きながら休憩室に入る。他の従業員の姿もあったが、会話を聞く程度ならば不自然にならずに過ごすことができそうだ。今のところ良好で、取引について話し始めた二人の会話が明瞭にの耳に届いている。
 予想していた通り、マクレガーは近々取引をするようだ。オーナーの方の麻薬取引と捜査機関の動きについての確認がメインのようで、ウイルスサンプルの取引に関しては詳細を口に出していない。あくまでも今以上の関係になるつもりはないらしい。
 ──おっと。そろそろ時間だな。
 勤務再開だ。マクレガーがホテルに滞在することは分かっており、どの部屋に泊まるのかも分かっている。マクレガーはすぐには部屋に向かわず、暫くは酒の飲むだろう。これもいつものことだった。
 その後でマクレガーが部屋に入り、携帯電話を使った時が狙い目だ。
 計画を改めて組み直していると、着信がきた。人目があるので電話には出ずにイヤホンで聞く。
。今は潜入中だと思うが、急ぎ伝えておく。きみの条件であるスナイパーの件だ。私の部下にあたる男なのだが、向こうにとっても都合が良い事情があったようで快諾に至ったよ」


 数日前、はジェイムズ・ブラックと話し合いを行った。
 彼はとても理性的な人物だった。画面越しではあるが、表情や仕草を見ていると前知識以上に見えてくるものもある。冷静沈着、洞察力や推理力なども含めて優れた捜査官と聞いたが、本当のようだ。
 エリート集団のFBIらしい見た目だが、ブラック捜査官と呼び丁寧に話すに対して、普段取りの接し方で構わないと申し出る彼に、鼻持ちならない高慢さは一切無かった。それに、信頼関係を築く上で、普段の相手を知っておくのも重要なポイントだ。
 協力するにあたって求められたのは、情報提供と調整だった。テログループの残党やウイルスサンプルの在処など、FBIからすれば手に入れたい情報は多いが、フェイクとの区別は労力を使う。
 そもそもこの事件は、始めは他国で起こったテロ事件だと思われていた。そのテログループは元々マークしている組織で、怪しい動きが見られたためDIAが注視していたのだ。
 ワクチンの研究開発を行っている研究所で、生物兵器になりうるウイルスの研究が秘密裏に行われている。襲撃は未遂に終わったものの、研究員の一人が無断でウイルスを持ち出したことが発覚。テログループと繋がりのあるブローカーを介して、取引を行った疑いがある。
 後の捜査で、身内を人質にとられての犯行だったことが分かったが、その研究員は遺体となって発見されてしまった。そうなると、本人の口から真実を聞き出すことはできない。
 捜査によって研究所の事件と結びつき、FBIはこの時にウイルスサンプルの流出とテロ未遂事件を把握したのだった。
 捜査は進んでいるが、肝心なところで絶妙にズレた情報が入ってくることに違和感を覚えたジェイムズが、CIAの妨害工作の可能性について上層部に意見したのだった。
「成程。そこから引退した彼らの耳にも入ることになったのか。あの人たちは直接関わっていなくても、優秀な片腕たちの情報網は受け継がれているんだろうな」
「そうだね。しかしまさか、私も副長官から直々にコンタクトがくるとは思ってもみなかったよ」
 ということは、ジェイムズを選んだのは本人が言っていたとおり、元副長官が直々に選んだというころだろうと納得する。
「大体は把握した。遅れをとっていることで余計に、そういう情報を掴まされてしまっているな」
 些か不躾な指摘だが、ジェイムズは忌憚のない意見として受け取ったようだ。
「それについては、我々も痛感している」
「貴方の推測のとおり、CIAは意図的に情報操作や攪乱を行っている。組織同士の対立はいつものことだが、調べてみると俺の知らないところでもやられていた」
 そんなことにかまけて、自分たちはDIAに出し抜かれているのだから滑稽である。
「FBIの動きも辿ってみたが、寧ろ今までより良い動きをしているように感じた。だからこそCIAはFBIを遠ざけたかったんだろう」
「しかし結果として踊らされていたのだから、改めなければならないな」
 はジェイムズの言葉を肯定するように頷いた。当然、FBIとて捜査に関する情報を詳らかにしているわけではないし、市警で取り扱っている事件を横取りすることも多々あるので、CIAを非難できる立場ではないが。
 それでも今回の件は明らかにFBIとCIAは完全に対立関係にあると言えた。
「貴方たちに協力すると言った俺が言うのもなんだが、今回の件でCIAに情報を与えていたのは主に俺だ。情報の管理もある程度はやっていたが、そっちは専門部署がやっているから、執拗にやっていた可能性がある」
 重大な内容をさらりと告げたに対して、ジェイムズは一瞬、表情を動かしたが、一呼吸を置いてゆっくりと頷いた。
「……なるほど」
 その一言には様々な思いが込められているように聞こえた。
「現場単位でフェイクが入ってくるとなると、スパイが最前線に潜り込んでいる可能性がある。サイバー上なら別だが、現場となると盗聴でもしない限りアウェイだ。各現場で捜査官たちと口頭で遣り取りをするなら、リアルタイムで気付くのは難しい」
「そうだな。……それにしても、今回のCIAはやけに必死だな」
 ジェイムズが思わずというように漏らした。その疑問は正しい。
「向こうは向こうで、DIAと腹の探り合いをやっているから、余裕があるわけではないんだ。なにしろ今の大統領とはソリが合わないみたいでね」
「ああ、そうだったな。DIAに出し抜かれた格好になったのだったか」
「マクレガーが関わっている時点で身から出た錆みたいなものだ、本部も焦っただろう」
「そんな中で重要な役割を任せられているきみは、彼らにとって重要な人材ということだな」
「まあ、そうなんだろうな。ただ、それが徒になって少し面倒な状況になっていてね」
「というと?」
「CIA組織内に、俺の暗殺作戦チームが作られた」
「──馬鹿な」
「粛正理由は例の組織との繋がり。既に証拠がでっち上げられている。関係者諸共、始末するつもりらしい」
 これにはジェイムズも嫌悪を覚えたようで、僅かに顔を顰めた。
「なんという愚かなことを……」
「それで、今度は俺の計画を説明しようと思うんだが、元副長官から交換条件については聞いているか?」
「ああ。捜査に協力してもらう代わりに、信用できる人材を紹介することが条件だと聞いている」
 は頷いてから、再び口を開いた。
「スナイパーが欲しいんだ。主な役割は俺の援護。本当なら一人で対処したいところだが、流石に分身はできないからな。信用できる人物で、遠距離からの精密射撃が得意なやつはいるか?」


 銃の扱いや戦闘の対応に慣れていれば言うことはないが、最も重要なのは正確かつ確実に遠距離から狙撃が可能であること。
 そう説明すると、ジェイムズは条件に合う捜査官がいると言った。今回の事件を考えても彼しかいない、すぐに交渉すると。まさかここまで行動が早いとは思わなかったが、これは朗報だ。ジェイムズは更に話を続けた。
「実は、彼はある組織の潜入捜査をしているのだが、きみが目をつけられている例の組織だと言えば分かるだろうか」
 思わぬ言葉に、フロアに向かう足を少し遅らせる。
「聞けば、その潜入先の任務で既にアメリカに入っていたようでな。この偶然には私も驚いたのだが、組織から指示された彼のミッションは、きみの監視らしい」
 ──おいおい。
 そんな偶然があるのか。つまり、ここ最近をつけ狙っている人物は、実はFBIの捜査官ということか。いや、この際監視役の正体がFBI捜査官だろうが、それはどうでもいい。
 組織の方もまとめて今回の計画で片を付けたいと考えているにとって、監視という名の始末係が自分側の人間というのは渡りに船だった。
「きみの計画と照らし合わせて確認をしておきたいとのことだ。ラスベガスにいるのは分かっていると言って、私が居所を聞いた時には既にきみのところに向かっていたよ」
 それで急遽、に報せたというわけだ。それにしても、敢えて完全に隠さなかったとはいえ、ラスベガスにいることを把握しているのを考えると、頭の切れる捜査官のようだ。
「彼の意見を聞いてから伝えようと考えていたからこのタイミングになってしまったが、きみの援護を担う捜査官の名前を伝えておこう。名前はシュウイチ・アカイ。狙撃の腕は間違いない。FBIが保証する」
 ──なんだって?
 思わず足が止まる。今、シュウイチ・アカイと言わなかったか。あまりの衝撃に思考が止まりかけたが、無理矢理にでも足を動かせば、頭も回転し始めた。
 同姓同名の可能性などと、そんな野暮なことを考える余地もないほどに赤井秀一のことだと直感が告げる。

「エヴァンズ、テーブルの担当だが」
 フロアに戻ると、マネージャーが待ち構えていた。VIPルームの担当した代わりに変更になったので、後半のシフト確認が必要なのだ。
 シフトスケジュールを伝えるマネージャー越しに、自然な視線の動きに乗せてフロア内の客の様子を観察した。そこで一人、アシェルに視線を寄越した客に気付く。
 近くの客と比べて細身だが、上背があって体格はそれなりに良い。面影の残るその顔を見れば、否応なしに懐かしさが込み上げた。
 離れてから随分と長い年月が経ったので背格好も髪型も違うが、記憶の中の人物と男性客の姿が重なる。
「さあ、後半も頼んだぞ」
「はい」
 頷いて担当のテーブルへと向かう。待っていたかのようにアシェルのゲームテーブルについたことからしても、赤井はがアシェル・エヴァンズに変装していることをジェイムズから聞いていたに違いない。
 ──秀一。
 改めて見ているうちに、記憶のページが次々と開かれていく。蘇る若い日々の記憶は、蓋をしていた胸の奥を柔らかく引っ掻いていくようだった。
 ──いい男になってまあ。
 子どもの頃から目を引く存在だったが、年を重ねることで魅力を増した精悍な顔立ちや、どこか陰のある雰囲気も相まって、いかにも女性を虜にしそうな風貌だった。
 FBIに入ったのなら、アメリカ国籍を取得したのだろう。数年間はアメリカに住んでいたということだ。はそれについて全く知りもしなかった。勿論、今まで気にならなかったわけではない。それでも敢えて調べなかった。
 赤井もも、ほとんど同じタイミングでイギリスを離れた。当時、互いに何か事情があることは察していた。だからこそ二人は何も聞かなかったし、教えなかったのだ。
 以来、連絡すら取り合っていない。どこで情報が漏れるか分からないため連絡を取れなかった、というのが一番の理由だが、自身の環境が大きく変化し、めまぐるしい日々を送っていた。
 そんな郷愁にも似た感慨を一切表に出すことなく、はアシェルとしてゲームを始めるのだった。



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2022.02.06 inserted by FC2 system

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