ドリーム小説
 スポーツクラブで悪ガキをシメ……いやいや、灸を据えた次の日から、俺は景吾坊ちゃんの命により時々テニスの練習相手を務めるようになった。
 何気に忙しい執事業(&護衛)に一つ仕事が増えたので、更にプライベートな時間が短くなったわけだが、ぶっちゃけ俺としてはご主人様と過ごす時間が増えて幸せな限りである。
 そんな俺は、ただいまジャージ姿で跡部邸敷地内をランニング中だ。すぐ前を、規則正しい呼吸をしながら景吾坊ちゃんが走っている。
 なんで走っているのかって聞かれたら、始まりはご主人様の「身体を鍛えたい」発言に尽きるのだが。
 体を鍛えたいと言われた時にまだ早いと止めたのだが、ならば持久力を付けるためにランニングを始める と言われ。
 まあそれならと、これを機にちゃんとした練習メニューを作ったほうがいいかと思ってトレーナーに相談し、今に至る。
 そんなこんなで時は流れ、可愛らしいというより麗しくなりつつある景吾坊ちゃんから、今日は基礎トレから付き合えと言われて、さっそくお供をしている次第である。
 いや〜、それにしても跡部邸の広大な敷地をこういう形で活用することになろうとは。敷地内ということもあって、隅々まで手入れが行き届いているのが素晴らしい。
 走っていて飽きないというか、癒されるというか、こんな贅沢なランニングコースって他にないよな。寒さも吹っ飛ぶってものだ。
 まあ、一番の癒しは景吾坊ちゃんなのだが。







 そんな毎日を過ごしていた或る日。スクールに迎えにいった帰り、なにやら考え事をしている様子の景吾坊ちゃんに、最近ずっとこんなだなぁ、と改めて思う。
 う〜ん、ここ最近でそんなに頭を悩ますようなことでもあっただろうか。
 まあ、悩むといっても俺にしか分からないくらいの些細な変化なので、表面的にはいつも通りなのだが。例えば今も、俺からの問いかけに返すタイミングが微妙に遅いとか、護衛の為さり気なく周囲に目を走らせている時なんかに不意に感じる視線とか。
 もしや俺に関係あることなのか。はてさて、余計に見当がつかないんだが。
「どうなさいましたか?」
「別に、なんでもない」
 ほらねえ。なんでもないとか言ってる割には何か言いたげなのにこれだよ。
 始めは、もうすぐ家の事情で日本に帰国することになった樺地くんのことかなとも思ったのだが、どうもそれは違うようで。
 そもそも、景吾坊ちゃんはかなり男前な性格なので、しんみりするよりも背中を叩いて送り出すような感じだしなぁ。
 樺地くんとのやり取りを見ていても特に変わった事はなかったし、相変わらず景吾坊ちゃんのことを慕っているんだな〜って感じが伝わってくるんだよね、彼。本当にいい子だよ。
 きっと景吾坊ちゃんと樺地くんの関係性は離れても変わらないと思うし、変わるとしても良い方向に変化すると思うんだよ。
 いいね、信頼関係って素晴らしいよね。パッと見は主従っぽくても、この年で尊敬とか信頼とかが伝わってくるのって凄いと思うよお兄さんは。
 まあ、景吾坊ちゃんも日本の進学時期に合わせて氷帝学園の中等部に入学することになっているから、ずっと離ればなれというわけではないし。
 樺地くんが中等部に上がれば、また同じ学校に通うことになるのだ。寧ろ、テニス部に入って一緒に全国優勝目指すルートじゃないか?
 とまあ、そんなことを思考の端で考えている間も、俺はいつも通り着実に仕事をこなしているわけで。我ながら出来る男だと感心してみたり。
「そういえば、今日は父さんたちが帰ってくる日だな……」
 景吾坊ちゃんを部屋まで送り届けて数分。鞄から教材やプリントを出しながら、不意に景吾坊ちゃんが呟いた。
「はい。こちらにお戻りになるのが予定よりも遅くなるそうで、夕食を景吾様と一緒に取れないことが残念だと仰っていましたよ」
「そんなの、いつものことだろ」
 小さなガキじゃあるまいし、と言う景吾坊ちゃんは、強がりではなく本当に今更だというように呆れを滲ませている。
「では、夕食はいつものお時間で宜しいですか?」
「ああ」
 あっさりと頷く景吾坊ちゃんを見ると、なんだかちょっと寂しくもあるが、この家は金持ち一家にありがちな冷めきった親子関係とは真逆なので、さもありなんというか。心配は無用だからまあいいか。


 そうして数時間後。夕食を終えて部屋に戻っていった景吾坊ちゃんに、いつものように紅茶の用意をして部屋に向かっていると、ドア越しに微かに声が漏れ聞こえてきた。
 とはいえ、いくら廊下がシンと静まり返っているといえど、普通の声量で声が漏れ聞こえることは先ずないない。
 もしかして友達と電話で盛り上がっているのかと思ったが、所々聞こえてくる言葉で電話ではないことに気付いた。
 ──そういえば、今度スクールで弁論大会みたいな行事があるって景吾坊ちゃんが言ってたなぁ。
 本番に向けてのちゃんとした練習なのだろう。人知れず努力を重ねる姿に、えらいなぁ、とついつい頬が緩みそうになる。
 それにしても、途切れ途切れではあるが、聞いている限りでは結構レベルの高い内容だな。景吾坊ちゃんの年齢でこの出来ってすげえな、ほんと。
 そんな事を考えていると、練習が終わったのか不意に声が止んだ。ナイスタイミングだぜ。よし、介入開始!
 無駄に高いテンションを冷静沈着な空気の中に隠してドアをノックし、少し間を置いてから中に入る。すると、予想通りスピーチの練習をしていた様子の景吾坊ちゃんは、原稿を片付けてソファに座った。
「いい香りだな……」
 そうでしょう、そうでしょう。景吾坊ちゃんのご指名とあらば、メイドの仕事であっても俺がやらせて頂きますよ。喜んで頂けて何よりだ。
「なあ、
 半分ほど飲んだところで、景吾坊ちゃんに名前を呼ばれて応える。
まだ例の悩み事は解決していないのか、車内にいる時と同じようなトーンを落とした景吾坊ちゃんの声は、俺の返事の後に続くことなく途切れてしまった。
「何か、悩みごとでも?」
 そう言うと、むに、と僅かに唇が動く。え、そんなに言い辛いことなのか?
 さすがに漫画のように読心術などのスペックは持ち合わせていないので、景吾坊ちゃんが言葉にしてくれないと些細な変化を見つけて察するしかないのだが。
「……やっぱりいい。風呂に入る」
 お、おう。そりゃ風呂に入るのはいいけどさ。既に準備万端だし。
「本当に宜しいのですか?」
「いい! あ、そうだ。これ。父さんが帰ってきたら『ふざけんな』って言っておけ!」
 机の引き出しを開けたところで、景吾坊ちゃんは思い出したように折り畳まれた紙を手に取った。苛立たしげに放たれた伝言と共にそれを受け取って見ると、どうやら旦那様からの手紙のようで。
 一体なにがふざけているのかと思って開いてみたところ、確かにふざけているとしか思えない文字が目に付いた。文字というか、顔文字が。
 おい、旦那様どうした。確かに奥様といちゃついている時はファンシーフラワー飛びまくりな人だけど、アンタこんなキャラじゃないだろ。
 主な内容は、今後の進路を始めとした真面目なことを書いているのに、最後の三行で顔文字乱用ってどういうことだよ。どこでこんな知識つけやがった。\(^o^)/じゃねーよ、\(^o^)/じゃ。
いくらお土産楽しみにしててねメッセージだからって、茶目っ気にも程度があるだろ。
「確かに、ふざけていますね」
 そして英文と顔文字の違和感たるや。否、例え日本語の文章だったとしてもだ。
 考えてもみろ。新聞記事なんかで、それまで散々シビアな話をしておいて文末が(´Д`)で締め括られていたらどうだ。違和感どころか、謎の苛立たしさを覚えるに違いない。
「ったく、珍しくマトモなことを書いてると思ったらコレだ。これからは普通に書けとから言っておいてくれ」
「畏まりました」
 どうせお遊びでやったんだろうが、茶目っ気の方向性が間違っていることも言っておこう。手紙を折り畳んで懐にしまい、バスルームに向かう。
 夕食を食べている間に用意しておいたタオルやバスローブ。その中からタオルを一枚手渡したところで、不意に景吾坊ちゃんがチラリと見上げてきた。

「はい」
「今日も、俺があがるまで隣にいろよ」
「御意に」
 分かっていますとも。言われずとも隣の部屋で待機するつもり満々だよ。景吾坊ちゃんは俺に髪を乾かしてもらうの好きだもんな。喜んでやらせて頂きますとも。
 え? いつも俺が乾かしてるのか? してるぞ。寧ろタオルでトントンして水気を取るところから俺がしてますけどなにか。
 景吾坊ちゃんったら軽く拭いただけで終わろうとするんだぞ? 別に、自分で乾かせないわけでもないのに。
 まあ、これは今に始まったことではないので今更だが。なにせ、景吾坊ちゃん付きの執事としてこの家に来たあの夜に知ったことだからな。
 これは俺に甘えてくれているのかなんて思うとさ〜、主人といえども可愛いと思うし嬉しいってもんだろう?
 まあ、それで。俺が用意しておいたバスローブを羽織って出てきた景吾坊ちゃんにソファに座ってもらい(実際は俺から言うまでもなく座るのだが)、そこでタオルドライを始めるわけだよ。
 ブローが終わる頃には湯上りの熱もいい感じに馴染んでいるから、バスローブから寝間着に着替えてもらって。それからは坊ちゃんの自由時間だ。
 寝室に直行してお休みなさいませコースの日もあれば、テニスの試合をした日なんかはマッサージやケアをする日もある。
 今日の様子では、寝室に直行かなぁ。
 ああ、そうそう。今、俺がいる場所だが、景吾坊ちゃんの部屋じゃないんだぜ。バスルーム(個人用なのにその辺の高級ホテルより凄い)は廊下に出ずに景吾坊ちゃんの部屋から直接行ける仕様だが、部屋とバスルームの間には寛ぎ空間があってだな。
 髪を乾かしたり何だったりはそこでするんだぜ。ちなみに、当然パウダールームなんていうレベルではなく、ざっと見ても70畳はあろうかという立派な部屋である。
 ──おっと、内線だ。
 あー、旦那様たち遅くなるのか。まあ、仕方ないな。いろいろと付き合いとかもあるし。
 わざわざ頑張って今日中にこの家に帰ってこなくてもいいのではとも思うが、旦那様と奥様が決めたのならそれでいい。
 そんなことを考えながら紅茶のカップを片付けて、タイミングよくそれらを引き取りにきたメイドに後を任せ、俺はブローの準備を始めた。

「旦那様が?」
 待機の態勢に戻ったところで、なにやら旦那様からコンタクトの催促がきていると告げられた。なにそれ。別に使用人を介さなくても勝手に掛けてくればいいものを。
「分かった。旦那様には私から掛けよう。きみは自分の仕事に戻りなさい」
「はい。失礼いたします」
 多分、手紙のことだろうな。景吾坊ちゃんの反応がどうだったか聞いてくるに違いない。
 まったく、旦那様の遊び心にも困ったものだ。親子のコミュニケーションとしては確かに面白みはあるが、景吾坊ちゃんには合わなさすぎる。
 そんなことを思いながら旦那様へ電話を掛けると、二回ほど呼び出し音が続いた後に機嫌の良さそうな陽気な声が聞こえてきた。
「やあ、。きみが直ぐに掛け直してくるということは、景吾はまだ入浴中かな」
「ええ。先ほど入られたばかりですよ」
「そうか。私たちが居ない間、良い子にしていたかい?」
「それはもう。ああ、景吾様から伝言をお預かりしているのですが、如何いたしましょう」
「今言ってくれて構わないよ。なにかな?」
 なにかな、って。絶対分かってるぜ、この人。声が既に楽しそうだからよく分かる。
「旦那様が景吾様に書かれた手紙のことですが」
「ほう」
「景吾様のお言葉をそのままお伝えしますと、ふざけんな、と。今後は普通に書いて欲しいと仰っていましたよ」
「おや、そうか。私としては親しみを込めたつもりなんだが、不評だったようだな」
「お手紙の内容との差異が大きすぎたのも要因かと」
「そうかい? だが、あれを書いたのは土産の話だったろう。やれやれ、景吾は頭がかたいな」
 いやまあ確かにそうだけれども。あれはないだろ。だってそこまでは父親から息子へ贈るすげー感動的な話だったじゃねーか。
 やれやれだぜ、はこっちの台詞だよ。
「せっかくアルバートの案を使ってみたのに、いまいちだったか」
 おい、マジかよ。あのオッサンが旦那様に顔文字知識を与えた犯人か。旦那様も、普段絶対に使わねーからって面白がって乗るんじゃねーよ。
 景吾坊ちゃんが悩んでいる時に、タイミングよく苛立たせるのは止めて欲しい。大人げないぞまあ、景吾坊ちゃんの悩みについては、奥の手を使って聞き出すとして。
 あのオッサンには一度仕置きをした方がいいのではないだろうか。そんな事を考えていると、あの食えない笑みが脳裏を過り、思わず俺の中にあるドSスイッチが入りそうになった。
 おっと、いかんいかん。も〜。俺はいつも朗らかで温厚な男だというのに、うっかり切り替わりそうになったじゃねーか。非常に不本意だし、ホント不愉快。今度オッサンに会ったら、渋い色した髪の毛ぜんぶパージして尻毛にトランスフォームしてやろうか。なーんて。
「……今、なにか不穏なことを考えなかったか?」



2013.04.01 inserted by FC2 system

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