ドリーム小説  
 一生お仕えする覚悟で忠誠を誓った可愛い可愛いご主人様が、突然無理難題を突きつけてきたら、どうする?
 別に不可能ってわけじゃないんだけどさ。そもそも主人の命令は絶対だし、それも景吾坊ちゃんからの命令とあっては何が何でも応えてやろうって気概はあるんだ。
 だが! だがしかし、だ! それが結果的にご主人様によくない影響を与える類のものだった場合、どうすればいいのか。
 さっきも言ったが、応えられないわけではないんだ。応えようと思えば応えられるのだが、こればっかりはどうにも……。
 というか、景吾坊ちゃんは何故あんなにも拘るのだろう。そんなに良いもんじゃないと思うぞ、俺の笑顔なんてさ。
 だって俺の場合、デス・スマイルだからなぁ。流石にちょっとさ〜、考えるだろう、そこは。微笑む程度なら特に面白いことがなくても笑えるが、どうやら微笑ですらデス・スマイルらしいからな。
 どうしたものか、と考えながら無言で洗面台の鏡を見つめる。そこには当然、顔を洗ってサッパリした俺がいるわけで。髪を整えながら、「笑顔か……」と呟く。
 そうして数秒、身だしなみを整え終えたところで、試しにフッと口端を上げてみた。
「……」
 うん、なんだろうな。自分ではそこまで違和感はないのだが。
 いや、多分こういうのって自分の顔だからよく分からないんだろうな。自分ではそう感じなくても、知らず人様に不快感を与えることってあるもんな。
 ……うわー、なにそれ朝からテンション下がるわー。







 バカンスで海を楽しんだ翌日、というか、その日の夜には既に「笑え!」みたいな流れになっていたように思う。
 ご主人様曰く、例のちょっとしたアクシデントに遭ったあの時、俺が笑ったのを見たらしい。
が、直後に気を失った所為か記憶が朧げで、カメラマンに現像を急がせて写真を見てみたが俺の笑顔写真はなかった、と。
 セ───フ!! よかったー! 危なかったな、俺! 危機一髪だぜ!
 だってアレだろ。景吾坊ちゃんの話の流れからして、あの時気絶した原因って俺のデス・スマイルも一枚かんでるだろ。寧ろこれが原因だろ。
 ということで、俺にとってはラッキーな結末だったわけだが、景吾坊ちゃんはどうしても見たかったらしく酷く落ち込んでしまった。というか、拗ねてしまった。
 そんな景吾坊ちゃんも可愛いので、俺的には地中深く埋没するところだった荒んだ心が癒される思いだったのだが。
 よく考えてみてくれ。そもそも俺の心に打撃を与えたのは、俺自身のデス・スマイルでご主人様が気絶した、ということなのだよ。癒されてる場合じゃないよな。
 嬉しいような悲しいような、微妙なところっていうかさ……いや、待て。微妙っていうか、下手したらこれ、プラマイゼロどころかマイナスだぜオイオイ。
 やっぱり写真撮られてなくて良かった。こっそり回していたと思われるビデオもチェックしたしな。
 これで一安心、ヒャッフ〜。とか思っていたらだよ。未だに景吾坊ちゃんの機嫌がね、直らないわけですよ。
「景吾様、そろそろお時間ですよ」
 朝食を終えてから数時間。部屋にこもっているご主人様を訪ねれば、ソファに体を預けて物憂げな顔をさせていた。醸し出している空気といい、表情といい、まだ機嫌が直っていないらしい。
 ああ、ね……。今日は思う存分テニスができるというのにこのローテンション。
 なんだ、これは俺が悪いのか? 俺が笑わねえから景吾坊ちゃんのモチベーションがダダ下がりなのかい?
 ──そんな馬鹿な。
 そもそも、休日といえば景吾坊ちゃんにとっては思う存分テニスができるという最高な一日なのだよ。
 スクールがある間は大好きなテニスをする時間が限られる。
 その為、もっぱら敷地内にあるコートで練習するに留まるのだ。そのぶん休日はスポーツクラブとか屋外コートに行く時間を設けていて、時には誰かと対戦することもあり景吾坊ちゃんもわりと楽しんでいる。
 だからこそ、こうした休の日はテニスをする時間を多く取っているのだが……ああ、うん。溜息吐いてるねえ。そりゃ雨降ってるし、今日は室内コートだけどさぁ。
「今日はキャンセル致しましょうか?」
 跡部グループがスポンサーの施設だからどうにでもなるしな。気が乗らないならば致し方ない。
 そう思って提案してみると、景吾坊ちゃんはソファの背に凭れたままで、嫌だと言うように首を振った。
「……行く」
「左様でございますか」
 それはよかった、と内心で呟いていると、不意に坊ちゃんと目が合った。今まで絨毯に向けられていた視線は俺を睨むようにしていて、それでも怒ってるようには見えない。
 何か言いたげな視線というか、取り敢えずそのまま待っていると、景吾坊ちゃんは漸く口を開いた。
「……もやれよ。どうせ側にいるんだろ」
 ええ、いますよ。一応護衛も兼ねてますから。寧ろ護衛のために景吾坊ちゃんの行き先について行くんだしね。
 というか、「やれよ」ってテニスの相手をしろってことだよな。え、俺が相手でいいんですか坊ちゃん。向こうに行けば誰かしら相手がいると思いますよ。
「なんだよ、嫌なのか?」

いやいや、滅相もねーっスよ。ぜひ相手を務めさせていただきますけども。これでも俺、実はこっそりテニスの練習してるんで。主に壁打ちだけどな!
だって景吾坊ちゃんたらどんどん上達していくんだもんよ。
前にアルバートのオッサンも言っていたが、もしかしてもしかしたらだよ。ご主人様のお相手をする事になった場合、そこそこ打ち合える程度のスキルは必要だろう?
だからせめて壁打ちでもしてさ、ラケットとボールの扱いを極めようと思ったわけだ。
勿論、毎回壁打ちだと流石の俺も上手くはならないから時々ミカエル相手に打ち合うのだが、何故か顔色が悪くなるんだよな、アイツ。
いい気分転換になるだろうと思って誘ってるのに、すげー緊張してるんだよ。ホントなんでだ。
まあ、それは置いといて。秘密の特訓が役に立ちそうな時がきたということで、喜んでお相手させて頂きます。


 跡部グループの系列である某スポーツクラブにて。
 予約をしていた俺たちはいつものように室内テニスコートがある棟まできた。職員に無駄に干渉されることを嫌う景吾坊ちゃんは、普段から経営などその手の人払いをしてテニスに打ち込む。
 勿論、他にも利用者はいるので、偶に同年代の子ども──(大抵は年上である)──などがきた時は試合をしたりもするが。
 俺はというと、景吾坊ちゃんが練習しているコートが見渡せる場所で、待機という名の護衛をしているのが常だ。
 しかし、今日は景吾坊ちゃんの命令で一緒にテニスをすることになったので執事服からウェアへ。シュバッと早業で支度を終えて通路脇で景吾坊ちゃんを待っていると、ガチャリとドアが開いた。
「……?」
 ポツリと零れた声と、無意識に傾げられている首。普段の大人びた仕草はどこへやら、ともすれば年齢よりも幼く見えるかもしれない隙だらけの表情が俺のハートに刺さった。
 しまった可愛い。
 そんなことを心中で呟きながら返事をすると、見上げている所為か薄く開いていた口がようやく動く。
「なんか、新鮮だな……」
 新鮮? ああ、この格好か。そりゃそうだ。
 だっていつもは執事服だもんな。この前のバカンスでは軽装だったが、さすがにテニスウェアにラケット持ってる姿で景吾坊ちゃんの前に出るのは初めてだからな。
「そういうのも、似合ってる」
「有難うございます」
 景吾坊ちゃんこそ似合ってますよ。すっげー爽やか〜な感じ。でも、照れたように言うのは反則です。
 普段は誰に対しても直球で堂々と言うのに、何故そこで照れが入るのかは分かりませんけども。そういうのは俺の前だけにして下さいね。
 変な奴に目をつけられたら大変ですから。というか、デレな景吾坊ちゃんは俺だけのものですから。
「……行くぞ」
 景吾坊ちゃんはフイッとそっぽを向いて前を歩き始めてしまった。
 そんなに恥かしかったのか、襟元からのぞく項がほんのりと赤くなっている。意外と俺のご主人様は照れ屋なんだよなぁ、と改めて思いながら室内に入った。
 貸し切りで予約していたわけではないので、既に数人の姿がある。テニススクールにでも通っているのか、打ち合う姿はなかなか様になっていてインパクト音もいい感じだ。
 景吾坊ちゃんもそうなのだが、幼い頃からラケットを握っている子には純粋に凄いなと思う。俺なんて一応は色々手を付けたものの、スポーツの方面には進まなかったもんな。
 主に体力作りと運動神経の向上? みたいな感じで結局は役に立っているが、どの種目も適度にいい所までやって終わりだ。
 体を動かす機会といえば、最近は専らミカエルの指導とテニスくらいだろうか。フェンシングは養成学校以来やってないしな。まあ、筋トレみたいなことは毎日やっているので体力は衰えてないが。
 ──というか、景吾坊ちゃんはやっぱり上手いなぁ。
 ややあってラリーを始めた俺たちは、一つコートを挟んだ向こう側にいる子どもたちの視線を集めていた。いや、集めているのは景吾坊ちゃんだけどな。
 流石にこの施設のスポンサーの御曹司だということは知らないだろうし、やっぱりあの子達から見ても上手いんだろう。素人の俺でさえ、また上達したな〜って思うくらいだからな。
 そうして坊ちゃんのアップがてら暫く打ち合っていると、新たに二人が入ってきた。
 執事とはいえ護衛を仰せつかっている俺としては、それが人畜無害なただの利用客だとしても常に視界の端で動きを追うわけで。景吾坊ちゃんの鋭い打球を返しながらも、意識はその二人に向いている。
 見た目は普通の利用客という様子だが、彼らが入った直後から向こうのコートで打ち合っていた子供たちの雰囲気が変わった。明らかに二人を見て委縮していて、強張っているのが分かる。
 先程まで傍にいた保護者らしき男性は、まだ戻ってきていない。なんだか雲行きが怪しくなってきたなぁ。
 ──見覚えがないってことは、ごく最近から来るようになったのか?
 テニススクール関係以外の一般利用者は会員制だから、大抵は跡部家繋がりとか常連のため面識があるのだが、やはり二人には見覚えがない。ましてや、体格はいいものの未だ少年の域を出ない子ども。
 向こうにいる子供たちと顔見知りっぽいところを見ると、彼らも同じテニススクールに通っているのだろうか。それとも別のスクールで、戦ったことがあるとか?
 そんなことを考えながら打ち合いを続けていると、不意に視線を感じた。
 密かに見遣れば、何かを企んでいるような視線。それは俺に向けられた直後に景吾坊ちゃんへと向けられ、そこで一笑。唇を歪めて細く笑う様子に、直感で何かやらかす気だと覚った。
 一歩踏み出したのとほぼ同時に、視界の端に映ている一人───おそらくは景吾坊ちゃんよりも4〜5歳年上だろう少年が、ボールを高く上げてラケットを振り下ろした。
 そう、あろうことか俺の大切な大切なご主人様めがけて打ちやがったんだよあの子。なんだお前ら、ゲーム感覚で人様を傷つけようってか。
 ──ハッ、させねぇよ?
 ネットを跳び越えながらラケットを構え、景吾坊ちゃんの前に下り立つと同時にテニスボールを叩き返す。ただし、10倍返しで。
 え? 大人げない? ハハ、何を言う。ご主人様に危害を加えようとした時点で極刑に決まっているだろう。相手が子どもならば尚更、いろいろ教えてあげないとなァ?
 バァン、と破裂音にも似た音と共に、俺の渾身の一撃が少年の方へ向かう。とはいえ怪我をさせるのは本意ではないので、二人の間を突きぬけて壁に当たるように狙って打った。
 思っていた以上にギュルギュルいいながら飛んでいったボールは、それでも俺の狙い通り少年達のすぐ側を猛スピードで通り過ぎて壁に到達。
 バキィッとめり込んだのは誤算だったが、そのお蔭で彼らはニヤついていた表情を青くさせて大人しくなった。
 そしてボールから俺へと視線を移すと、そこまでビビらなくても、と思うほどガタガタ震え始めた。俺が苛めているみたいじゃね? ……10倍返しはやり過ぎだったか。
 ていうか、思いっきりボールがめり込んでヒビまで入ってしまったあの壁は俺が弁償するのだろうか。
……」
 遠い目になりそうな己を抑え、後ろから聞こえた声に振り向く。そこには、呆然と俺を見上げている景吾坊ちゃんがいた。
 まさか今の一連の出来事で今度こそ引かれたのでは、と思いながら跪けば、それに合わせて景吾坊ちゃんの視線も下がる。そして───
「お前、すごいな!」
 お、おお? 予想外の反応。いや、引かれることを思えばテンション高い方が良いけども。
 なんか知らんが、さっきの一打がご主人様の胸に刺さったらしい。ああ、景吾坊ちゃんの周りにファンシーな花が飛び散っている何これ可愛い。
 未だかつてないほど無邪気な表情で、目をキラッキラさせて聞いてくる貴方の姿に俺はハートを射抜かれましたよ。なんだろう、俺でさえここまでピュアな反応を返してくる景吾坊ちゃんは初めてだ。
 これちゃんと現実? 夢オチとか幻覚オチとかじゃなくて? 今更覚めても許さねえけどこれ現実?
「今の技はどうやったんだ? いや、それ以前にだ! テニスが上手いなんて聞いてないぞ!」
「申し訳ありません」
「なんで黙ってたんだよ。しかも、ここまでの実力があるなんて……言ってくれれば毎日お前とテニスができたのに!」
「いえ、テニスは独学ですので」
 宣言するほどの実力はないんだよ。そもそも、景吾坊ちゃんが暇を持て余した時用というか、万が一誘われた時に最低限の技術は必要だろうと思ってコッソリやっていたに過ぎないのだ。
 俺もテニスできます、なんて身の程も弁えず自分から言い出すほどイタイ奴じゃないんで。
「独学でも何でもいい! !」
「はい」
「これから、家で練習する時は必ず相手になってもらうからな! いいか、これは命令だ!」
 腕を組んで言い放った景吾坊ちゃんはいつになく興奮していて、しかも命令を下す姿がサマになることサマになること。カッコ可愛いですよ、ご主人様。
 ここまで言われて従わないはずがないだろ。元より、俺は景吾坊ちゃんのために在るのだから。
「御意に」
 嗚呼、執事服だったら俺もそれなりにサマになっただろうに。まったく、残念な奴だよ俺は。


2013.04.01 inserted by FC2 system

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