ドリーム小説
 心の中で盛大に名乗って一発食らわせたはいいが、リーダーの男の目がなんだか妙にイっちゃってる感があるというか、意識がないというか。
 やばい、やりすぎた。
 若干引き気味に俺を見上げる景吾坊ちゃんに気付き、内心で動揺しながら顔に掛かった血を軽く拭う。ぜったい引かれたなこれ。いくら少量だからって、返り血浴びた人間ほど怖いものはないもんな……。
 どうやって誤魔化そうか考えていると、不意にインカムがピーッと鳴った。……え? 爆発物発見した? そういうことはもっと早く言ってくれ。ていうかまだ処理してないのかよ。
『少し厄介な仕掛けになっててね。、指示頼むよ』
 ええ、爆発物処理班経験があるコイツが厄介と言っている時点で面倒極まりないんですけど。いやだなぁ。
 やんわりと断ろうかと思ったが、説明を聞いていると本当に厄介な代物で、仕方なくこの状態のまま指示をする事になった。
 足元には主犯格の男が転がっていて、意識を取り戻したのか、カビ臭い地面に這いつくばって俺の足を掴んでいる。掴んでいると言っても、ほぼ何も感じない程度の握力だからさして問題はない。
 景吾坊ちゃんを下ろせばこいつを縛り上げることなど造作もないが、震えているご主人様を離すわけにはいかないというか、離す気など更々ないというか。
 ──って、ちょ、眩しいなオイ! その合図やめろ。終わったならインカムで報告しろバカ。ライト照らすんじゃねえ。
 下・ろ・せ
 今すぐその百均で買ったペンライト下ろさねーとシバくぞ!!







 と喧嘩をした。……いや、こんなもの喧嘩でも何でもない。俺が一方的に避けてるだけだ。
は謝ってくれたけど、あいつが何かしたわけじゃないし、俺が勝手に怒ってるだけだってことは自分でも分かってる。きっと仕方のない主人だと思ってるに違いない。もしかしたら、呆れられたかもしれない。
 一人になって思い返してみて、ようやく冷静に回り始めた頭。自分でそうしたくせに、マトモに会話できなかったことが寂しく思えて、それを誤魔化すようにベッドに潜り込んだ。
 それでも気付けばのことを考えてしまっていて、なかなか眠れない。声を掛けてくるに、一度も返事をしなかったことが、今になって余計に悔やまれる。
 ──なにをやってるんだ、オレは……。
 感情に任せて、怒鳴るような真似をしてしまった自分が情けない。は俺が無視しても、いつも通りに接してくれたのに……なんで俺は素直になれないんだ。今日だって本当は謝るつもりで……。なのに、「お早うございます」と言うを前にしたら、思うように喋れず意地を張ってしまった。
……」
 ベッドの中でに貰った万年筆を握りしめる。あの日以来、いつも肌身放さず持ち歩いている俺の宝物。
 俺の執事としてあの家に来てからずっと、スクールが休みの日なんかは特に一緒に過ごしている。親よりも、世話役のマシューよりも、と過ごす時間が多くなった。
 そんなことを考えながら見つめていると、ふとの顔が浮かぶ。
……、今なら部屋にいるだろうか。
 イギリスの家では、大抵この時間には部屋にいる。仕事を終えて漸く休む時間になるんだ。でもここは日本で、向こうの家とは使用人も違うし、もしかしたら仕事にも違いがあるかもしれない。……まだ部屋にいないかもしれない。
 それでも、明日の朝まで待っていたら、また同じことを繰り返す気がする。そう思うと居てもたってもいられなくて、ベッドから抜け出した。
 それが間違いだったのだと、数分後に思い知ることになるなんて──。


 ──ここは、どこだ……。
 気付けば、俺は月明かりもない場所に転がされていた。暖かいけど、ここは部屋じゃない。ただひたすら真っ暗な場所だが、伝わってくる不規則な振動が車内であることを物語っている。
 ──そうだ、ミカエル。アイツはどうなったんだ……。
 突然わけの分からない輩に襲われて口を塞がれたあの時、ミカエルが偶然そこを通りかかった。
 俺だって素直に眠らせられて溜まるか、と覆われた布を湿らせているものを吸わないようにしてた。いくらなんでも、数秒で全身に回るわけがないし、吸わなければ時間は稼げる。
 そう思ったが、相手の方が上手だった。ミカエルは間もなく倒れて、俺も注射を打たれてしまった。一瞬、死ぬのかと思ったけど、どうやら俺は眠らされていただけらしい。
 確かに、殺すならこんな誘拐じみたことなどするわけがない。ここは、車のトランクだろうか……。ああ、ダメだ。あの薬の所為で頭がぐらぐらする。気持ち悪い。吐きそうだ……。
 ──、助けてくれ……。


 埃っぽくてカビ臭いその場所で、俺は腕と足を縛られ完全に捕らえられていた。
 身の代金を要求する際の流れで口に噛まされていたは布は外されたが、例え助けを呼ぼうとして泣き叫んでも、外には誰もいないことは分かっている。寧ろ声を出すだけでも危ない。叫んだり泣いたりなんてことは論外だ。目の前の奴らを見ていれば、それが逆効果であることなど一目瞭然だった。
 日本人のくせに完全装備。しかも武器の扱いに慣れていて、それが手に馴染んでいるかのような仕草をみせる。身の代金などというお荷物を要求したわりには、滲み出る雰囲気がただ者ではない。
こいつら、よくいる誘拐犯じゃない。
 拳銃の他にも、ライフルのような武器やナイフに似た刃物を装備していて、常に周囲を警戒している。スナイパー、殺し屋、そんなフィクションじみた生業さえ現実に存在するのだと思わせられるような、とても重くて異様な空気が漂っていた。
 緊張のあまり固唾を呑んでいると、不意に男たちの表情が変わり、反射的に肩がはねる。
「おい、何かあったのか?」
 リーダーの男が装置している無線機で話しかけるのを、仲間たちも黙って聞いていた。俺には何も聞こえなかったが、何かを察知したのだろうか。
どうやら外にも見張りを置いていたらしく、もう一度尋ねたが応答はないようだった。警察だろうか。それにしては何か違和感があるような……。
 そう思った時だった。今まで壁に凭れていた男が、勢いよく吹き飛んだのは。
 ──ッ!!
 直後、暗闇と化した建物内。何がどうなっているのかも分からず、ただただ恐ろしくて悲鳴さえ上げることができなかった。
 何かがぶつかる音と、金属音、そして銃声。黒い影が動いては誰かが倒れ、うめき声をかき消すように銃とは少し違う音が響いた。
 ガクガクと震える足、おかしいくらいドクドク鳴る心臓。グイッと引っ張られるようにされて漸く、自分の立ち位置を思い出した。逃げなければ。一刻も早く。
 侵入してきた存在からではない。この腕を掴んでいる奴から逃げるのだ。だってほら、瞬く間に近付いてくる影は俺を見てる。警察なんかじゃない、この視線を俺はよく知っている。だから行かなければ、あの影の元に──。
 そう思った瞬間、乱暴に扱われていた体に一瞬の浮遊感が生まれた。次いで、全身を包み込むように回された腕と、待ち望んでいた温もり。
ッ……!」
「遅くなりました。もう心配はいりませんよ」
 抱きしめられて、思わず安堵の涙が浮かぶ。いつもの執事服とは違う胸元に顔を押し付けて、精一杯しがみ付いた。
 ずっと待っていた。来てくれると信じていた。もう何日も合っていなかったような気がする。やっと会えた。それでも体の震えは止まらず、はそんな俺に気付いたんだろう。優しく背を撫でて、更に強く抱き締められて、それで漸く助かったのだと実感できる気がした。
「クソがッ……!」
 吐き捨てるように響いた声に、再びビクッと反応してしまう。それほどに俺の内には恐怖が植えつけられているらしい。
 でも、がいる。もう大丈夫だ。きっとがここから連れ出してくれる。そう信じて、響いた銃声に堪えるように目を瞑った。同時にが動き、ドガッと鈍い音がした。
 が倒したのか、そう思って恐る恐る目を開けると、ほんの少しだけ男の姿が見えた。気を失っているのか、転がったままで動かない。
も、もしかして殺したんじゃ……。
 少しだけ恐くなってを見ようと顔を上げると───目に飛び込んできたのは、黒い染みのようなものだった。これは、血なのか?
 一瞬、の血かと思ってドキッとした。でも直ぐに違うと分かった。違うと分かったら、さっきよりももっと胸が痛くなった。手を伸ばした俺を見つめる目が、触れてはだめだと言っていたから。
こんなものに触ったら穢れてしまう。そう言っているようで、俺の代わりに血を浴びたを思うと、哀しくて、悔しくて、涙が出そうだった。それを必死で堪えていると、不意にピーッという音の後に声が聞こえてきて、思わず呼吸を忘れる。
『爆発物確認。この倉庫を囲むように4か所、一つが起動すれば他も連動する仕組みになってる』
 この声、聞き覚えがある。パーティーの途中、会場の外でと親しげに話していた。機械を通しているからだろうか、少し違いはあるが、この向こうにいるのは間違いなく、あの女だ。
「処理は」
『まだだ。少し厄介な仕掛けになっててね。、指示頼むよ』
 女がそう言うと、は少し考えた後、その頼みを了承した。女から語られる爆弾の説明は、当然だが俺にはさっぱり理解できないもので、でもは違う。
 説明を聞くだけでその爆弾がどういう代物か検討がつくのか、或いは処理の方法さえ頭に浮かぶのか。
 ……いや、そうなんだろうな。きっと後者だ。説明を聞くと同時に解除方法の手順が浮かんでいるような、そのくらい淀みなく紡がれる言葉。
『よし。処理成功だ』
「まだ残りがあるだろう」
『分かってる。残りは直ちに処理、その後さっき言われた通りにする。安全を確認次第知らせるよ』
 そこで女の声は途切れた。はあの女のことを信頼しているんだな……。
 俺はいつも助けられてばかりだ……。護衛も兼ねているのだから、それが当たり前で、寧ろこれがの仕事なんだろうけど。きっと俺には手にすることができない、からの信頼。
 それを持っている女が酷く羨ましくて、何も出来ない自分が情けなくて、少し哀しい。このままではがどこかに、あの女の元に行ってしまいそうで。そんなのは、嫌だ。
、オレ」
 お前を渡したくない、そう言おうとした。しかし俺はそれを見た瞬間、言葉を忘れたように固まってしまう。
 が、氷のように冷たい眼差しで眼下を見ていたから───。
 俺はこの時初めて、が怒りを露わにするのを見た。今までに何度か感じた『怒』という感情は、おそらくの本気ではなかった。だってこんなにも冷たい目をしたを、俺は見たことがない。
 なら、がこれほど怒る理由は一体。そう思ったところでハッとする。そうだ、の足元にはアイツが、このグループのリーダーがいる!!
「クク……これでお前も終わりだ。俺が死ぬということは、同時にお前の死でもある……ハ、ハハハッ」
 最後の力を振り絞って握られたそれは、見た目は携帯電話のようだが少し違う。何かのスイッチだろうか。そこで脳裏を過ったのは、先程までと仲間の女が話していた爆弾。でも、あれは既に処理したんじゃ……。
 そう思った時、男は全てを察したかのように己の上着を切り裂いた。
「……ッ!!」
 爆弾!? こいつ、自爆でもする気なのか!?
 動揺のあまりを仰ぎ見るが、冷ややかな目は男を見下ろしたままで、しかしスッと細められていた。
 こ ろ せ
 殺せ。静寂の中、の唇が音もなく動いた。まるで殺せるものなら殺してみろ、と言うように。細められた視線は鋭く、この空間ごと呑み込むように冷気が漂い始める。次の瞬間、今まで嗤っていた男が小さく悲鳴を上げ、遂に手にしていたそれを落とした。握る力さえなくなったのか、に気圧されて動けないのか。
 そんなことを考えていると、不意に手が伸びてきた。頬に添えられた掌は温かく、その先にある眼差しも。
「景吾様、大丈夫ですか?」
 そこには、いつものがいた。無表情で、俺を気遣う言葉でさえ淡々としていて、相変わらず感情が読み取れない。それでも、とても温かくて心地良い。それはの心と同じなのだということを、俺は知っている。だから───
っ」
「はい」
っ!!」
「はい、ここに居りますよ」
 ここに居る、その言葉に思わず目を見開く。少し離れたところで錆びついた扉が開くのを聞きながら、自分がしたことを思い出した。俺は、何も話していない。意地を張って一日中黙り込んだだけでなく、自分の胸に聞いてみろだのと言ってしまったのだから。それを悔やんで、に会いに行く途中で襲われてしまったのだから。
 俺の気持ちをが知っているわけがないのだ。それなのに。それでもお前は、いつも俺の先回りをして、一番欲しい言葉をくれるんだな。
 なら、それよりももっと、それ以上の言葉を望んでもいいだろうか。ずっと俺の傍にいる、と──。



2012.06.21 修正 inserted by FC2 system

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