ドリーム小説
 指定された、というかこの時間に立っているよう言われた通り、寮の門前で大人しく待っていると一台の車が近付いてきた。運転席に乗っているのはアルバートのオッサンではなく運転手。きっと腕の良い運転手なんだろうと、どうでもいい事を考えている間に俺の前まで来て停まった。流石だ。
 促されて乗ると、俺を誘った張本人である厳ついナイスミドルな男が座っていた。勿論この男がアルバートだ。アンタ仕事はどうした。仮にも現当主の執事ともあろう人間が、主人そっちのけで外出していてもいいのか。
 なんだか嫌な予感がするのは気のせいか? 狸ジジイ(というほど年ではないが)相手に油断は禁物だ。これはこのオッサンから受けた教えの中でも一番最初に学んだことでもある。そもそも、跡部家に入る前夜に何故オッサンと2人きりで食事などせねばならないのか。寒いことこの上ない。







 食事を兼ねて今後について何か話すのかもしれないと思っていたが、その予想は外れていたようだ。数少ない会話から例を挙げると、フェンシングは続けているのか、そろそろオペラの良さは分かったか、などなど。
 いやフェンシングなんて授業以外で普通はしませんよね。後半の3か月は特にそんな暇なんて皆無だったじゃないか。オペラも教育の一環としてオッサンに行けと言われたから行っただけで、俺がそんな高尚な趣味を持ってるわけがない。
 まあ、確かに良いもん見せてもらったけれども。オペラ鑑賞だけにどれだけ時間を割いたことか。もともと跡部家の執事にと考えていたらしいオッサンのお蔭で、この半年間は今までの人生で最も濃密な日々だった。
「ところで、君はテニスの経験はあるのかね」
 食事が終わり、その帰りの車内でオッサンが話し掛けてきた。なんだ突然、藪から棒に。
「一応は」
 親が一通りのスポーツはやりなさいと言って無理やりにやった。やらされた感は拭えないが取り合えずやった。勉強ばかりやっていても体に悪いとか、子どものあらゆる可能性を見つけ出すとかなんとか。その中で、今もやっているといえば、執事学校の授業でやる機会があったフェンシングくらいか。
 俺は決して親が気遣うほど引きこもって勉強ばかりやっていたわけじゃない。勉強は他人との関わりが最小限で済むから、意志疎通の面で気を遣わなくていいという理由でやっていただけだ。日がな一日机にかじりついていたわけではない。
 ──それより、なぜ突然テニス?
 ……ああ! 景吾坊ちゃんか!
 考えてみれば、俺がお仕えする予定の景吾坊ちゃんはテニスを嗜んでいるんだった。実力は嗜んでいるというレベルじゃないと確か旦那様が言ってたな。本人もどうやら本気で打ち込んでいるとか。
あれ、今の質問ってさ。もしかして坊ちゃんの相手を務められる程度の実力はあるのかとか、暗に聞いてたりするのか。
 確かに軽く試合する程度ならできるけれども。景吾坊ちゃんだってまだ小さいから、流石にプロ級な腕じゃないだろうけれども。これからの成長ってすげーだろうし、日本で言う小6くらいになれば結構なレベルになるんじゃないか?
 テニスも本格的に続けておけば良かったか、と考えていた時、バックミラー越しに運転手と目が合った。
「……」
 が、何故かコンマ数秒で逸らされた。なんでだ。俺何もしてないよな?
、そう無暗に人を怖がらせるものではないぞ」
「そのようなこと、しておりませんよ。それに、貴方にだけは言われたくない」
 ていうか怖がるって何に。……俺に? えー、怖がらせた覚えないし怖がらせるつもりなんて毛頭ないんですけど。アルバートのオッサンだけには言われたくない。
 この人の貫録って半端ねーもん。マフィアとまでは言わないが結構な圧力があるぞ、その顔。あと雰囲気もな。無表情の下でそんな事を呟きながら、さっきから薄々感じていたことを指摘する。
「どこに向かっているのです?」
 明らかに寮とは違う道だろ。というか、この辺って確かオペラの───
「フン、分かっているのではないかね?」
 おいおーい、まさかこれからオペラ鑑賞ってわけじゃないだろうなぁ。……くそー、マジかぁ。どうりでディナーにしちゃ時間が早かったわけだよ。始めから胡散臭いと思ってたんだよなぁ。
 他にも何かあるんだろうな、このオッサンが態々ここまでするとか。回りくどいことしないでバーンと言っちまえばいいのに。
「なぜ態々このような真似を?」
「なに、今日は祥吾様が一家でオペラを見に行く予定でね。ついでだから我々も楽しもうではないか」
 もーいいけどね。オッサンと2人きりでオペラでも。……それはいいけどさ、俺はいつごろ寮に戻れるのかね。


 ──で、なんでこういう展開になるんだって話だろ。
 公演も終わって、ふい〜、と一息ついたらだよ。他の客が出ていく流れに混ざって帰ろうとした俺をオッサンが引き留め、一言挨拶でもしておきたまえみたいなこと言うもんだから、ご主人様ご一家を待ってたんだけどさ。
 俺は怪しげな2人組の手首を捻り上げ、そいつらが声を荒げる前に首を突いて気絶させるという流れ作業中です。あ、今終わりました。
 だってこんな場所で怒声なんぞ出されたらかなわない。しかも俺のご主人様になる景吾坊ちゃんに手を出そうとするとは! この不届き者めがァ! と、心の中で一喝してから取り敢えず細い路地の方に置いておいた。
 うん、だってね? 旦那様が全然慌ててないんだよ。なんかこう、正体を知ってるっぽいから無暗に通報して事を大きくするのはちょっとな。
「お怪我はありませんか?」
 俺と同じ日本人の血を持っているにも拘わらず、西洋人形のような色合いの髪と瞳。祥吾様がハーフだから、景吾坊ちゃんはクオーターということだろう。傍に膝をつき声を掛けると、ハッとしたように大きな瞳が俺を映した。
「っ、あ……」
 うんうん、戸惑うよな。突然あんな輩に連れ去られそうになったら、そりゃあ恐怖を感じるのは当然のことだ。というかSPどうした。跡部グループの社長なんだから用心棒の一人くらい付けとけよなぁ。
「失礼」
 ちょっとごめんねと顔を上げさせてもらい、どこにも傷がないかチェック。よし。足や手も問題ないみたいだし、体の動きに違和感はないな。いや〜、良かった良かった。一通り確認して立ち上がり、息子さんは無事ですよーと跡部夫妻へ声を掛けようと思ったのだが。
「父さん!」
 景吾坊ちゃんが駆け出してしまったので、俺はその後ろで控えることになった。
「オレのしつじはコイツにしてくださいっ! ゴリラ男よりもコイツがいいです! いえ、コイツでなければオレはみとめませんっ!」
 待て待て、ゴリラ男って何だい。一体どういう流れでそうなった。
「はは、景吾はまだそんなことを言ってたのか。心配しなくても、そこにいる青年がお前の執事だ」
「……え?」
 ん〜? これはもしや……景吾坊ちゃんには俺の写真を見せてなかったのか。私の目に狂いはなかったなと自画自賛しながら、素敵!と腕を絡ませる奥様と見つめ合う旦那様。
 一応言っておくけど、路チューだけは勘弁してくれよ。つーか、アンタらどんだけ新婚気分なんだ。
「お前が、オレのしつじ……?」
 ビスクドールのような色合いの目が、呆気に取られた様子で俺を見上げてきた。ひじょーに可愛い! 緩みそうになる顔を無表情で取り繕って、ホント可愛いな。
 気が強い子だとは聞いていたが、子ども特有の丸みがある為か可愛さの方が何倍も勝っていてマジで可愛い。ご主人様になる人物なわけだから是非とも信頼関係を築きたいものだが、ここで「よろしくー」なんて軽い挨拶で済ませれるわけがないので、ここは真面目にいこうか。
「この度、景吾様の執事となるよう仰せつかりました、と申します」
上からものを言うのはあまり良いことではないが、身長差があるのでそこは致し方ない。ご主人様をオコサマ扱いするわけにもいかないだろう。特に景吾坊ちゃんはそういうのを嫌がりそうだ。軽く礼をして小さなご主人様を見ると、数度の瞬きの後に「……」と呟いた。
おお、名前呼んでくれましたよ奥さん。これは幸先イイ感じ? 能面無表情の下で舞い上がっていると、どんなシンクロなのか奥様がそれはそれは良い笑顔を浮かべた。
「そうだわ。、あなた今晩から家に来ればいいのではなくて?」
「それはいい。もう契約は済んでいるし、後は本人が家に来るだけだからね。荷物もあるだろうから後日部屋に運ばせよう」
 いやいや、何をおっしゃいますやら。と思ったのも束の間、誰かが近付いてくるのに気付いて視線を向けるとそこにはやっぱりナイスミドルがいた。
「旦那様、荷物の方は既に屋敷の方へ運び入れております」
「ほう。流石だな、アルバート」
 なんたる所業だ。寮から荷物を運び出すために俺をディナーに誘ったわけですかこの狸は。
 ということは、こういう展開を見越して……いや、端からこうするつもりでSPも付けずに……ん? いや、離れてるけどそれっぽい人は居るな。俺の視界に入らないようにしていたとは小賢しい。……さてはオッサンの入れ知恵だな。
「まったく、面倒なことを仕掛けてくれる」
 俺のボヤキを聞いたのか不思議そうに見上げてくる景吾坊ちゃんだけが心の癒しだ。
「おや、気付いていたのかね?」
 器用に片眉を上げてみせるオッサンに俺はスッと目を細める。
「白々しいですよ、アルバート様」
 まったく。いい加減にしねえとその顎髭ショッキングピンクに染め上げるぞ。とはもちろん心の声だが、何がツボだったのか旦那様が突然声を上げて笑い始めた。
「はっはっは、本当に君は良い根性をしているな。アル相手にそんな口が利けるとは。先程の2人組の対応も見事だったよ。……景吾を無傷で守ってくれたこと、感謝する」
 最後の部分は真剣な顔をしていたから、あながち遊びではなかったという事か。
 その後、結局俺は寮に戻ることなく、帰りの車で一緒だった景吾坊ちゃんに癒されながら跡部邸へと向かった。ちなみに、俺が気絶させた2人組は普通に誘拐を企んでいた人たちだったらしい。といっても2人はただの実行犯だけどな。なんでも仕事関係のこじれだとか。
 旦那様はやはり知ってたらしいが、だからって冒険しすぎだよアンタ。2人は、SPが見当たらなかったから行動を起こしたっていう行き当たりばったりの、素人よりちょっとだけ道外しちゃってる感じのラインを生きている奴らだった。俺からしたらほぼ無害だよ。ま、確かに本職の人達を使ったら使ったで、自分が危険だからな。色んな意味で。その契約打ち切られた会社社長もそこまで馬鹿じゃないってことか。


 ◇◇◇


 帰りの車内で隣に座っている執事をこっそりと見上げる。その顔はやはり無表情で、アルバートのような厳つい感じとは違うものの、少し冷たい印象を受けるものだった。
 やっぱり何を考えているのかは分からない。それでも、不思議と嫌な感じはしない。寧ろ、どういう奴なのか興味が湧いた。
 あの時、黒い服の2人組に襲われて正直驚きで声も出なかった。しかし、何が起こったのか理解した時にはその乱暴な扱いから解放されていて、代わりに目に飛び込んできたのはシルバーグレーのスーツにコートを着た男だった。
 ──すごい……。
 男の動きの一つ一つに目を奪われる。スーツ姿でも窮屈さなど感じさせない流れるような動作。目が追い付かないくらいの速さで取り押さえたかと思えば、既に男たちはクタリとしていて、周囲も気付いていない者がいるほどだった。
 家で雇っているSPと比べたら少し細身かもしれないが、体つきはしっかりしていて身長も高い。男たちを路地に置いて俺の元に来たソイツを、俺はただ呆然と見上げるしかなかった。それほど、存在感があった。惹きつけられた。

「お怪我はございませんか?」
「っ、あ……」
 真っ黒な瞳が俺に向けられて思わず息をのむ。先程浮かべていた冷たい表情は既にないが、普段からそうなのか感情さえも読ませない無表情。それでも男の声は案外心地よく響き、俺の緊張を和らげた。
 そこで漸くハッと我に返る。突然の出来事に見舞われたとはいえ、すぐに答えることが出来なかったことに羞恥が込み上げた。怪我……はしていない。確認するように体の具合に集中していると、「失礼」という声と共に長い指が顎に添えられた。
「っ……」
 そのまま、くいっと軽く上げられて先程よりも近い距離で黒い瞳と視線が絡んだ。俺の青い瞳とは違う、日本人によくいる黒に近い虹彩。同じく黒だと思っていた髪は、街灯の光を浴びて僅かに青みがかっていた。深い夜のようだ、と思った。
 2人組を伸した時の身のこなしといい、その動作振る舞いといい、俺はこいつが欲しいと思った。何を考えているのか読めない独特の雰囲気はあるものの、だからこそと言うべきか、俺は直感でコイツしかいないと思った。俺の側に仕えるのは、コイツしかいないと。
「どうしました?」
「……別に」
 俺の視線に気付いたのか、は穏やかな声で言った。でもきっと、ずっと気付いていたのだと思う。それが少し癪で顔を逸らすと、横でが笑った気がした。思わず振り返りたい衝動に駆られたが、ギュッと手を握ることで誤魔化した。



2012.06.23 inserted by FC2 system

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