ドリーム小説
 そもそも、なぜ俺のような一般人が執事なんて職業に就いたのか。従事する側の人間にとって狭き門である跡部家を任されることになったのか。思い返してみても、やっぱり大した事をした覚えはない。
 強いて挙げるとするならアレはそう……俺が休暇中に旅行に行った時だ。職業が職業なだけに、いつも気を張るので、休暇は一人で過ごすことが多かった俺は、数日間を使って海外へ旅行に行ったのだ。
 そうしたら偶然、小規模テロに遭遇したものだから、ついつい体が動いちゃってさ。職業病かな。犯人を取り押さえて、爆弾の処理もして、そうしている間に現地の警察も来て、めでたしめでたしとなった数日後、街中で妙に雰囲気のある男に声掛けられたんだよな。
 ……あれ、これが原因じゃね? その時に居合わせて俺を見たか、人伝手に聞いたかでスカウトマンが動いたんじゃないか?







 イギリス 跡部邸
 自分で言うのも何だが、俺は色素こそ日本人離れしているがそこまで顔の彫りが深いというわけではなく、生粋の欧米の奴らと比べればやはり日本人に近い面立ちをしている。
 スクールに通い始めたばかりの頃は日本人ということで舐められていたが、そこで黙ってやられる俺ではない。帝王たる資質を存分に発揮して、暫く経った頃には陰口を言う奴ら諸共そいつらをやり込めてやった。テニスで勝つための執念ではあったが、それが結果的に俺という人間を大きく変えたと言える。
 そんな俺とアイツが出会ったのは、友人と呼べる存在もでき、実に充実したスクールライフを送っていた時だった。
「しつじ?」
「そうです。前々から候補の方を探していたようですが、この度正式に雇われることになったのだとか」
 俺は物心つく頃には既にイギリスで生活していた。多忙を極める父や、父を支え、夫人として同じく忙しい日々を送る母。その代わりのように、屋敷には多くの使用人がいる。今話しているマシューも使用人の一人で、聞くところによると長い間この家に仕えている男らしい。
 たぶん、俺は両親よりも多くこの男と過ごしていると思う。だが、幼くても俺にだって矜持というものはある。一日二日顔を見ることが出来ないからといって、親恋しさに泣き喚くような無様な真似はしない。父や母も俺に対して冷たいなんて事もなく、屋敷に戻れば先ず俺に会いに来てくれる。わりと可愛がられているという自覚はあるから、特に卑屈になったり癇癪を起したりするような低レベルな事はしない。
 ……もしかして、それがいけなかったのだろうか。
 朝食を終えてスクールに行く準備をしていた俺は、そこで初めて新しい執事が来ることを知った。まあ、新しいも何も今まで務めていたのは父親の執事だから代替わりみたいなものかもしれないが……。
「景吾様もスクールに通われるようになりましたから、そろそろだとは思っておりましたが……。これで私も安心して景吾様をお見守りすることが出来ます」
「アルバートはやめるのか?」
「いいえ、辞められるとは聞いておりませんよ。そうですねえ……家令というわけではありませんが、新しく来られる執事の上司のような立場でしょうか」
「かれい……」
 それもそうか。執事が2人になったとしても新人と長年務めているアルバートでは同位にはならないのか。確かに、今はまだ父親が当主なのだからそれに仕えているアルバートの方が目上という事になのかもしれない。
「なに、心配には及びませんよ。景吾様のことを思って旦那様が選ばれた方です。きっと景吾様を支えてくださるでしょう」
「そいつがアルバートみたいになるのか? 若いやつじゃないのか?」
「ええ、お若い方だと聞いております。なんでも25歳でいらっしゃるとか」
 確かに若いな。いや、若い奴もいるだろうが25歳でこの跡部家の執事に就く奴なんているのか。仮にも跡部の後継者の執事だぞ? 俺はまだ子どもで、アルバートのように父の秘書だの側近だのという役割はないだろうが。
「とても優秀な方で、旦那様の一声で決まったそうですよ」
「父さんはもうソイツに会ったのか」
「そのようですね。そういえば、珍しく日本人だとかで。アルバート様が直々に教育なされたとか。それがよほど楽しかったのか、執事の育成に興味を持たれたようです」
「ふうん……」
 あのアルバートが直々に教育とは……よく堪えられたものだ。思えばアイツから行儀作法を学ぶ日々は地獄だった……。毎日毎日、朝昼夕、全てアイツと向かい合っての食事。
 しかも動作の一々に目を走らせているアルバートはお世辞にも優しい顔つきではない。祖父よりも厳つい顔と強い視線を前に和やかな食事など出来る筈もなく、流石の俺も耐えかねて父親に訴えた。
 だが、頼みの綱である母親にさえ『それが嫌なら早くマナーを覚えることですよ』と軽い笑いと共に返され、俺はといえば息子の前で堂々とイチャつき始めた両親の前から退散するしかなかったのである。
 今では食事の作法もすっかりマスターしたので、奴と2人きりという地獄のような食事はしていない。今思い返せば、最近はやけに忙しそうにしていた。もしかして、その新人を教育していたからだろうか。
 何れにしろ、アルバートが気に入るくらいだ。風変わりな奴に違いない。頭だけ良いエリートではこの家の執事は務まらないと父親も言っていたから、もしかしたらゴリラ並みの怪力男だったりするのかもしれない。
 ゴリラ男……。なんか、嫌だ。馴染める気がしない。
「そ、そういえば。きょうはオペラに行く日だったな」
「はい。旦那様も奥様も昼にはお戻りになられますから、予定通りご一緒に楽しめることでしょう。……そうそう、明日は今お話しした執事がみえる予定ですので、そのおつもりで」
「……わかった」
 明日、俺の執事が来るのか。随分と急な話だ。本当ならテニスをしたいと思っていたから、オペラ鑑賞もあまり気乗りはしないが、ゴリラ男との対面が待っていると思うと溜息が漏れた。


 ◇◇◇


 なんかよく分からん執事養成学校みたいな所に放り込まれて約半年。たった半年で就職先が決まるとは……やはり俺は呑み込みが早いらしい。
 スカウトマン改め、執事の中でも不動の地位に君臨しているらしいアルバート・マイヤーの指導はかなり厳しいものだったが、俺は次から次へ出される要求に全て応え、見事に執事業を修得してやった。ふはは。狸ジジイめ、ザマァみさらせ。
「おい、!」
 荷物の整理を終えて、そろそろ着替えようと服を脱ぎ始めた時、勢いよくドアが開いた。なんだよもう。お前だって半年もすれば執事になるくせして、ドアをノックするという礼儀も知らないのか。
 足音で気付いていたから驚きはしないが、緊急時でもないのにノック無しで入ってくるとは思わなかったぞ。
「なんだ、レナード」
 ワイシャツを脱ごうとしていた手を止めて振り向くと、そこには案の定、眉間に皺を大量生産させた先輩兼友人、レナードが立っていた。
「な、なんだとは何だ!」
 いやだから、お前が何なんだって。
「せっかく祝いの言葉の一つでもと訪ねてやったというのに」
「そうか。では有り難く受け取っておく」
「まだ一言も言っていないだろう! ……お前、まさかわざとやってるんじゃないだろうな?」
 ははは、わざとやってるに決まってるだろう。お前をからかわずしてどうやって華も娯楽もない寮生活を楽しむというんだ。無表情の下で悪どい笑みを浮かべながら、しかし表ではクールを装って返す。
「いや、祝いに来てくれたことは本当に嬉しい。有難う」
「俺を差し置いて跡部に入るんだ、恥をさらすんじゃないぞ」
「ああ、勿論だ」
 アルバートのオッサンに憧れてこの世界に入ることを決意したらしいこの男は、俺が此処に来るまでは跡部家の次代執事の有力候補とされていた。ちなみに俺より五つ年上だ。
 来たばかりの頃は何かと突っかかってきて正直鬱陶しかったが、今では友人として良好な関係を築けている。素では割と気性は荒いが、その分やることはやる。自分の進む道に誇りを持って生きる気高き男だ。
 俺が任されることになった今も、こうして祝いの言葉をくれるとは、なかなかに良い奴である。……まあ、多少のツッコミどころはあるが。
「明日でお前ともお別れか……。その憎たらしいすました顔が見れないと思うと、なんとも妙な気分だな」
「憎たらしい、は余計だろう」
 そんな事を言うのはお前くらいだぞ。これでも他の奴ら(挨拶程度の会話しかしたことはないが)には何やかんや贈られたんだぞ。仲が良いわけでもないのに。……なぜだ。
 というか、お前は口でこそ毒吐いてるけど、実は結構俺のこと好きだよな。いや別に変な意味ではなく普通に。そんなに俺が居なくなるのが寂しいのか。
 内心で頷いていたら、レナードが呆れたように溜息を吐いた。
「まったく、少しは愛想というものを覚えたらどうなんだ? そんな仏頂面ばかりだからお前は誤解されやすいんだぞ」
 確かにな。俺も別に表情に出せないってわけじゃない。笑おうと思えば笑えるし、そこそこ喜怒哀楽はある。
でもこれが標準装備なんだ。余程のことがない限り普通のテンションだから、表情に動きが出ないんだよ。寧ろそこまで気を付けて感情出すのも面倒というのもある。
 だからなのか、話していても妙に相手と温度差があったり。どんだけ社会不適合者だみたいな人間関係希薄すぎる時期もあった。でも顔に出にくいってことは、ある意味で執事に向いてたかもな。
「ほら、これやるよ」
 ぶっきらぼうな声と共に突き出された手。その手には長方形の箱があり、思わず瞬いて凝視する。
「……」
「やるっつってんだよ! それとも俺からの餞別を受け取れないというのか?」
 いやいやいや、滅相もねーっスけど。有り難く受け取りますけど。再びズイッと突き出された手から箱を受け取って開けると、中には品の良いタイが入っていた。
 まじで? え、これもしかしてコイツが選んだとか? いや、俺への餞別ってんだからそうなんだろうけど。
「……なんだよ。なんか言えよ」
 思わず手の中の物とレナードを交互に見ていたら気まずそうに目を逸らされた。わー、なんだこれ。嬉し恥ずかしいぞオイ。
「大切にする」
 ありがとう。と、この時ばかりは微笑んで礼を言った。……ん?
「なっ、おまッ……急になんだよ!」
 なんだよって、だからお前がなんだよ? 茹蛸みたいになったかと思えば思いっきり顔ごと逸らしやがって。せっかく笑ってやったというのに。
「まったくお前は……。笑わないくらいが丁度いいのかもしれないな」
 ……え、どういうことですか。流石にショックなんですけど。
 自分で言うのもなんだけど、ちょっとは顔に自信あったのに。俺の笑顔、どんだけデス・スマイルなの。思わず顔ごと逸らすほどヤバイのかよ何それ恐い。
「……分かった」
「あっ、いやその。今のは言葉の綾だからな? べ、別に笑うなって言ってるんじゃないぞ? ただ、笑う時には前触れっていうか心の準備というか」
 もういいよ、そんな必死になってフォロー入れなくても。ちょっとショックだけれども。どうせ、これからは今まで以上に笑う機会なんて無いと思うし。
 ああ、どこからともなくドナドナが聴こえてきた……そろそろ着替えを再開してもいいか。これからオッサンと出かけなきゃならねえんだよ、俺。明日は明日で跡部家に行ってご夫妻やらご子息様やら使用人さん達に挨拶しなきゃだし。
 プレゼントありがとうな。大切にするよマジで。



2012.06.21 inserted by FC2 system

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