ドリーム小説
 夕方から降り始めた雨は益々酷くなっていた。仕事を終え、部屋に戻った時には星空なんてものはとてもじゃないが望めない、嵐のような荒れ模様になっていた。
窓を見ると、雨が上から下へ滝のように流れている。木々を揺らすほど強い風が吹いては、雨粒が窓ガラスにあたってバチバチと鳴っていた。
 ──と、こんなふうに外は酷い荒れ模様だが、そんな事はどうってことはない。特技の一つである何時でも何処でも数秒で眠りにつける妙業を発揮すれば、俺にとって嵐の夜でも関係ないのだ。そんな事を一人、能面無表情の下で考えながら上着を脱ぐ。
 いや~、執事服って格好良いんだけどやっぱ窮屈なんだよね。さて、風呂に入って寝るとするか。とタオルと着替えを持ってバスルームへ行こうとした時、バァンともの凄い勢いでドアが開いた。あまりの勢いに呆気にとられて(といっても顔には出していないが)いると、俺がお仕えしている小さなご主人様が、えらい切羽詰まった様子で飛び込んできた。







「べ、べつにカミナリがこわいとかじゃねーからなっ」
 言うやいなや、ふん、と顔を逸らしてしまった。物言いが俺様でも、態度が高飛車でも、可愛くて仕方ない俺の小さなご主人様は、雷が大の苦手だ。本人は必至で誤魔化しているが、ピカッと窓の外が光った瞬間にビクついていて恐がっているのがバレバレである。
 まだ子どもだから雷が怖くても仕方ないが、きっとそのうち克服するんだろうなぁ。子どもの成長ってあっという間だからな~。さて、ご主人の言葉に誤魔化されるふりをしてあげるのも執事の仕事の一つ。可愛すぎる行動に思わず頬が緩みそうになるが、ご主人様が『雷が怖いから来たわけじゃない』と言っている以上はそういう事にしておこうじゃないか。
「な、なんだよ……本当だぞ! お前がこわがってんじゃないかと思って来てやっただけだ! こーえーに思え!」
「有難うございます、景吾様」
「ふんっ」
 あーもー、可愛いんですけどこの子。ツンデレ? もしかしてツンデレなのかい? 態々使用人の部屋がある場所まで来たってのに今更だぞ。でも可愛いから許す!
「お優しいですね。景吾様が人を思いやる心をお持ちになって私も嬉しく思います。さあ、いつまでもそんな所に立っていてはお体を冷やしますよ」
 こちらへ、と言って主人に促すにはちょっと失礼ではあるがベッドに入るように示した。掛布団を捲ってやれば、少しビクビクとしながらも俺の方に歩いてくる。
 その時、部屋の中が光ったかと思うと、僅か1秒程でとてつもない重低音が響いた。
「ひっ」
 その途端、声にならない悲鳴を上げて景吾坊ちゃんがしがみ付いてくる。あー、確かに今のは怖かったよな。俺も正直驚いた。思わず表情筋がピクッと動いたくらいにはびっくりした。常に一定の動きしかしないよう心掛けている表情筋が珍しく引き攣るところだったぞ。
「大丈夫ですよ、私が付いております」
「っ! べつに、怖くない」
「さあ、ベッドに入りましょう。本当に冷えてしまいますよ」
「……ああ」
 ごそごそと潜り込んでいく小さな体。枕のある位置までちゃんと辿り着いたのを見計らってそっと布団を掛ける。……お分かり頂けるだろうか、使用人が使うには勿体ないようなこのベッド。
 跡部家はとてつもなく裕福な家で、財閥と称されるようなお家柄だ。腕が見込まれて景吾坊ちゃん付きの執事という役所に就いた時、ここに来て先ず待遇の良さに驚いた。ある程度条件は付くものの、使用人にバスルーム付きの部屋とは凄い。だからこのベッドも、景吾坊ちゃんが寝ているものに比べれば狭いものの、海外サイズだからか長身の俺でも大きさは充分。柔らかさや寝心地も最高だ。我ながら素晴らしいところに就職したと思う。
「なあ」
 カーテンを閉め終えて机の上に置いておいた着替えを手に取っていると、小さく声が聞こえた。
「なんでしょう」
「お前はまだねないのか?」
 ふむ。寝ないのか、と聞いている割には少し寂しそうな顔をしている。成程、一緒に寝たいということか。確かにいつもはそういう流れだったな。仕方ねえなぁ、風呂は後にするか。
「景吾様がお休みになるまで、傍におりますよ」
 そう言うとご主人はムッとした顔をして睨んできた。何故だ。
「べつに、フロがまだなら入ってくればいいだろ」
「ああ、成程」
 ワイシャツ姿だから風呂に入ってないことに気付いたのか。ということは、俺の服装に気付く程度には落ち着いてきたってことだな。
「私が入浴している間、景吾様はお一人になってしまいますよ」
「っ!! ……べつに、かまわない」
 少し怯えながらも強がって返してくるところがまた可愛いけど、本当に大丈夫か~? 今も遠くで鳴っている雷にビクついているように見えるんだが。
「その割には、涙が滲んでおりますね」
「う、うるさい!」
「ああ、擦ってはいけません」
 素早く小さな手を取って、代わりに俺の指でそっと拭ってやる。まったく、本当に坊ちゃんは変なところで素直になれないな。まあそれが可愛いんだが、と思いながら小さく溜息を吐くと、何故か坊ちゃんがビクッと体を跳ねさせた。
「私が景吾様ともう少し一緒に居たいのです。ですから、どうかお傍に居させてください。構いませんか?」
「……しかたねえな」
 お前も入れ、と言われて隣に潜り込むと、子ども特有の温かさが伝わってきて、なんだか妙に癒されるから不思議だ。さっきよりも近い場所でゴロゴロいっている雷に、案の定しがみ付いてくる小さな手。う~ん、本当に可愛いぞ。何度も言っているが言い足りないのでもう一度言う。もの凄く可愛い。
 景吾坊ちゃんがスクールに通い始めた頃は俺もまだこの家に雇われたばかりだったが、この1年でとても良い関係を築いたと言っていいだろう。
「お休みなさいませ、景吾様」


 ◇◇◇


 部屋の中で一人ベッドに潜り込んでいるのも限界がきて、俺は全力疾走で廊下を駆け抜けての部屋まで来てしまった。
 顔を見て安心したのも束の間、自分の取った言動を思い返す。実に恥ずかしいことこの上ない。そう思いながらの顔を見ると、そこにあるのはいつもと変わらない無表情。何を考えているのか分からないこの男はいつも冷静で、大人で。自分が主であるにも拘わらず嫉妬してしまう。
 あまり近くで見上げると後ろに倒れそうになる長身に、筋肉のついた大人の体。純粋な日本人だが、この国の人間と並んでも見劣りしない。寧ろ、目を引くくらいだ。なにより、この若さであの父親が絶対の信頼をおく人物だ。流石と思わざるをえない。が、その反面で悔しいとも思う。
 切れ長の目がこちらを見て、思わず気圧されて俺はうっかり強がりを言ってしまった。
「な、なんだよ……本当だぞ! お前がこわがってんじゃないかと思って来てやっただけだ! こーえーに思え!」
 それでも「有難うございます、景吾様」と感情を垣間見せない口調で返すのはいつものことだ。ベッドへ促されてそちらへ進むも、途中で思わぬ失態をしてしまう。低く響いた音に驚いて思わずにしがみ付けば、安心させるように声を掛けられ、尚のこと羞恥心が込み上げた。でも、背に腹は代えられない。大人しくベッドに潜り込む。強がりを口走ってみても涙が滲んでいると言われて、口調の割に優しい手付きで触れるものだから大人しく拭われてしまった。悔しいやら恥ずかしいやらで拗ねていると、頭上で溜息が聞こえた。
 ──あ、あきれられたっ!?
 そう思った矢先に言われたのは、自分が一緒にいたいから暫く傍にいてもいいか、という内容で。少し癪に思いながらも「お前も入れ」と布団を捲って誘えば、は無表情ながらも無駄のない動きで横になった。
いつも冷静で落ち着き払ったその態度が気に入らずに突っかかったりしているが、やはり羨ましいと感じているからこそ癪に触るのかもしれない。
 本当は醜態なんて晒したくない。でも雷の音が低く鳴るたびにビクっと反応してしまう。非常に不本意ながら近くにある温もりに触れて恐る恐る見上げると、やはり無表情で俺を見下ろす顔があった。跡部家の嫡子たる者が情けない、と思っているかもしれない。
 それでもやはり未だ離れることは出来そうにない。そう思った時、大きな手がそっと背中に触れてきた。
「お休みなさいませ、景吾様」
淡々と告げる声の主はやはり無表情で感情が読み取れない。相変わらずクールな奴だと思いながら、大人しく目を閉じる。ポンポン、というリズムに眠気を誘われて寝入るまで、そう長くは掛からなかった。


2012.06.20 修正 inserted by FC2 system

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