また、いつか

ドリーム小説

 ――食いすぎだろ。
 目の前の光景に、思わず自分のことを棚に上げてそんな言葉が漏れた。
 声に出して言ったわけではないので、相手には伝わっていない。火神の向かいの席で、他校の生徒だろう男は、追加で注文したテリヤキチキンバーガーを胃に収めていく。数としては火神のトレイに乗っているバーガーよりも少ないが、向かいの男のトレイにあるものは追加分だ。総量としては大差ない、或いは火神よりも多いかもしれない。
 一応栄養バランスを考慮しているのか、量を除けばそれなりに考えられた配分。ファストフードのチェーン店にきて、それも大食いの客にしては珍しい。
 そんな取り留めもないことを思いながら、火神も残り数個になったバーガーのうちの一つを手に取り、口いっぱいにかぶりついた。


 普段は一人で食べるところを、見知らぬ客と向かい合って食べることになったのは、一時的に店内がほぼ満席になったことに因る。
 火神がいつも通り練習後の空腹を紛らわせるためにマジバーガーに立ち寄ると、数人がカウンターに並んでいた。人数は多くはなく、今注文している客の次には順番が回ってくると踏み、火神もそのうちの一つに並んだ。
 そうして腹の空き具合から何個注文するか考えていると、ふと隣の列――斜め前でトレイを受け取っている男に目が留まった。正確には、その男が受け取ったトレイに、だが。
 彼が受け取ったトレイは二つだった。一方には20個はありそうなバーガーの山、もう一方にはフライドポテトとサラダ、そしてソフトドリンクが乗っていた。それぞれを両の手に持つと、男は火神を含めた客からの視線を気にもとめない様子で、飲食スペースへと歩いていった。
 学ランの誠凛高校とは違う、濃グレーのブレザーの学生服で、ズボンはそれよりも薄いライトグレーに、ネクタイ。身長は火神と同じくらいあるように見えた。
 ――結構タッパあるな。
 日本に来てからというもの、火神は街中では周囲の人間よりも頭一つ分抜きに出ているので、背の高い人物にふと目が留まることがあった。
 特別に筋肉質というわけではなさそうに見えるが、それでも体がしっかり出来上がっている事が、なんとなく分かる。スポーツをしているからこその感覚のため、相田リコのように数値として判断しているわけではないが。背筋もピンとしていて、どことなく佇まいに雰囲気があった。
 指定鞄しか肩にかけていないが、向こうも運動部だろうかと、何の気なしに飲食スペースに向かう背中を眺めた。そうしているうちに火神の順番が回ってきたので一旦思考は途切れ、空腹を満たすための食欲に頭の中は戻ったのだった。
 が、いつものように注文し、大量のバーガーを受け取って、いざ飲食スペースに向かうと席がほぼ埋まっていたのである。
 いつになく賑わっているような気はしたが、飲食スペースの空き具合を確認する習慣がないため、構わずいつも通りに奥の席を狙い、真ん中辺りまで進んでしまってから気付いた。
 空いているのは、スルーして通り過ぎた入口付近の二人席のうちの向かいと、あと数歩という距離にある店内の中間辺りの二人席の向かい、そして最奥にある二人席のうちの向かいという、いずれにしても相席になるパターンだった。
 ――くっそ、マジか。
 奥の席を陣取っている二人は、あと数分もすれば食べ終わりそうな様子だったが、果たして直ぐに帰るかどうか分からない。
 そんな時、中間辺りの席の客が先程の学生だと気付いた。手に持っていた何個目かのバーガーを食べ終えた彼が不意に顔を上げたことで、すぐ近くで見下ろしていた火神と目が合う。
 すると、不躾な視線に嫌な顔をすることもなく、彼の方からここに座れというようなジェスチャーがあった。通路で立ち止まるのも迷惑なので、推定同年代ということもあり、向かいの席に落ち着いた次第である。
 それから約二十分。奥の二人組が席を立ち、新しく来店した学生がその席についたりと、他の席も準々に入れ替わっていく中で火神は黙々とバーガーを食べていた。

 会話のきっかけは、そんな時だった。
 向かいの男とは、それまでに特に会話はしていない。火神自身、普段からそこまで喋る方ではなく、同世代と相席になったからといって積極的に世間話をする性格ではないため、どこの高校?
というような文言さえも交わしていない。相手も似たような性格なのか、席を勧められた際に火神が「どうも」と礼を言ってからは、特に何かアクションを起こすわけでもなく黙々と食べている。
 かといって居心地が悪いわけでもなく、ただただ互いに自分のペースで食べ続けていた。火神はガツガツと勢いよく、相手は静かに行儀よくといった感じだ。
 それがしばらく続いた頃にガタリと席を立つ音がして、釣られて外を見ていた視線を向かいの男に移す。すると、ちょっと行ってくるという言葉を残して、財布のみを手に取った。
 鞄を置いたまま歩き出したのである。突然のことに、火神が「は?」と思っている間に彼はカウンターへ行き、新たにテリヤキチキンバーガーを注文。
「って、まだ食うのかよ!」
 席に戻ってきた男に思わず突っ込んでしまったのも無理はない。火神の言葉に、視線を寄越して首を傾げる男は、しかし構わずそのまま席につき、再び食べ始めたのだった。

「……結構食うんだな」
 デザート感覚なのか、今度はドリンクにバニラシェイクを選んだらしい男に、思わずそんな言葉が漏れた。ともすれば大食である自分よりも多く食べているのではと、さすがの火神も訝しげな表情になる。
「キミもね」
 表情も含めて淡々とした調子だが、無駄に干渉してきたり、騒がしいよりは断然良い。向けられた視線は他意のないもので、そしてよく食べるのは本当のことなので火神も否定はしない。
「まあ、そうだけどよ」
とはいえ、体格的に考えればそこまでおかしくはないのかもしれないが、それにしてもと思うくらいには食べている。今まで自分と同じような量を平らげる人間を目の当たりにしたことがなかったこともあり、火神にとって新鮮だった。そして、少しの親近感が湧く。
「いつもそんな食うのか」
 単なる興味本位、なんとなく、という拍子で自然に言葉が零れた。
「ふむ……。どうだろうな。普段から結構食べるが、ここまでは滅多にないかな」
「ふーん」
 少し考えながら話す相手に、まあ確かにこの量はなと納得する。火神はこのチェーン店の常連と言っていいほど練習後に立ち寄っているというのに初めて見たということは、学校帰りに必ず寄る習慣もないのかもしれない。
「俺、今ストーキングされているんだけどさ」
「ぶっ――はあ!?」
 ――待て。ちょっと待て。話の流れおかしいだろ。
 あまりにも軽い調子で言われたため、一瞬聞き間違えかと思ったが、向かい合っている男にふざけている様子は見られない。
「いやいや、つーか……なんだ急に。どっからそんな話になった」
「ああ、そうだな。悪い」
 相手はそう言って最後の一口を頬張ると、無造作に包み紙を小さく潰しながら、さり気なく自分の後ろ――店の奥を手で示す。
「奥のテーブルに座っているグレーの上着の男子生徒、分かるか?」
「……お、おう」
 そろりと見遣れば、丁度奥の席に座っている人物は別のものを見ていて、火神の視線には気付かない。どこの学校かは分からないが、見てみるとグレーの上着を着ている。向かいの男もグレーの上着を着ているので、同じ学校なのだろう。
 そこまで考えて、そう言えばと初めに狙っていた二人組の後に座った客だと、数分前のことを思い出す。再び向かいの男に目を向けると、彼は言葉を続けた。
「ここ最近、俺を待ち伏せたり、後をついて来たりするんだよ」
「……は?」
「家まで来られると困るから、途中でまくようにはしているんだが」
 困ったなと、本当に困っているのか疑いたくなるほど淡々と話す男に、マジかよ、と思わずにはいられない。しかし男の藪から棒な発言の真偽を問う前に、火神は根本的な疑問を口にした。
「あのストーカー、男だぞ」
「そうだな」
「いや、そうだなじゃなくて。……マジでストーカーなら、悠長に飯食ってていーのかよ」
 人目があるから何かをされる可能性は低いかもしれないが、店内から出てしまえばまた尾行されるかもしれない。こちらの様子は丸見えだ。ストーカーの目を盗んで店を出ることは難しい。それくらいは火神にも分かる。
 チラリと男曰くストーカーらしい学生を見遣れば、今度は向こうもこちらを見ていたようで思い切り目が合った。
「なんかすっげー見られてたぞ、今」
 驚いたのか、火神の視線を受けて怯えたように目を逸らしたが、誤魔化すようにドリンクを飲んではいても逃げる気は無いらしい。
「それでいいんだよ。見せているんだから」
「あ? 見せるって何を……おい、もしかして」
 どこに座ろうか思案していた時に自分の向かいに座らせたのは、ストーカーを牽制するのが狙いか。親切心かと思ったが、実は始めから計算でやっていたのか。
「いや、席をすすめたのは良心からだから、安心してくれていい」
「なんで俺の考えてること……てか、自分で良心って言うのかよ」
「まあ、キミならこの後、帰り道で彼に何かアクションを掛けられても問題ないだろうから、丁度良いとは思ったが」
「おい!!」
「こら。声が大きい」
「っ……誰のせいだよ誰の」
 気休め程度に音量を落として言う。バニラシェイクを片手に携帯電話を取り出して操作している男は、慣れているのか危機感がないのか。前者のように思うが、面倒なことに巻き込まれた感は否めない。
「告白されたんだ。好みじゃないから断ったんだが、これがまあ、なかなか諦めてくれなくてな」
「……好み以前の問題だろ」
 海外に住んでいたこともあり、同性同士の恋愛は比較的に許容範囲ではある。また偶然にもそういう立場の人間が居たので、嫌悪などはないが、自分がその渦中になるのは別である。というか、予想していなかった。本気で今度からは別の場所にある支店に行こうかと思うくらいには、予期せぬ出来事だ。
「あいつとは同じ委員会なんだが、何か深刻に悩んでる様子だったから声をかけたら、俺のことが好きだと打ち明けられたというわけだ」
「あー、なるほど」
「俺は同性愛に対して嫌悪感というほどの感情はないから、丁寧に対応したんだが、逆に期待させてしまったようでね」
「でも断ってるんだろ?」
「ハッキリとな。男女の場合でも好みっていうものがあるだろう? それが同性となると、ゲイではない俺は軽い気持ちで付き合うことはできないからな」
「まあ、そうだな。言いたいことは分かる」
「内容が内容だから真摯に応えようと思って、正直に好みじゃないから付き合えないと断ったんだよ」
 理解してもらえる存在は少ないだろうし、だから一応とはいえ理解者である人間を諦められないのだろうかと続ける彼に、そうかもしれないと火神も思った。
「そこまで言って諦めねえって、マジで厄介だな」
「だろう? 忠告したら、もうしないということで一度は片が付いたんだ。それからはパッタリ止んでたんだがな。今日、偶然顔を合わせてしまって。再燃してしまったようだな」
「懲りてねえってことだな。クッソ面倒くせえ……」
 根本的に理解できない。これはもう同性だとか異性だとか関係なく、好きな相手が迷惑しているのに欲求を満たすのは、本当にストーカーとしか言いきれない。肩身が狭い思いをしているのならば、唯一の理解者の存在は重要なのだろう。しかし、それが相手に迷惑をかけていい理由にはならない。知らず眉間に皺が寄る。
「もう一度やめるように言ったんだが、最後に抱きしめて欲しいとか、キスして欲しいだとか言い始めてしまって」
 そんなことをしてやる義理はないし、キリがないだろうから断った。そう溜息混じりに続いた言葉に、ふと気付く。
「……? 抱きしめて欲しいって……あー、そっちか!」
 成程と、妙な話ではあるが少し理解できた気がして、火神は思わず声が大きくなる。シー、と向かいの男にジェスチャーで注意された。 火神自身、たった今気付いた根拠もない先入観。ストーカーが同性だと知った時から、抱かれる側として好意を向けられているのだと勘違いしていた。
 言われて改めて考えてみれば、目の前に座っている男とストーカー男を比べてみると、立ち位置が逆の方が印象としては腑に落ちるものがあった。
「……まあ、どっちにしろ応えようがねえよな。てかそもそも、タイプじゃねーから断ってんのに付き合えって、無理だろ」
 少し控えめに声を落として言うと、男は苦笑いのように口端を上げた。淡々とした独特の雰囲気の中に、人間らしさを見た気がした。
「だろう?」
「しかもアンタとあのストーカー、同じ高校なんだよな?」
「そうなんだ。後輩だから気を遣ったんだがな」
「後輩なのかよ。てか、なら俺より年上か!」
 同年に対する言葉遣いでずっと喋っていた火神は、わかりやすく「しまった」という顔をした。
「薄々そうかもしれねーとは思ったけど、俺ずっとタメ口で喋ってたわ」
「ん? ああ、別に気にしていないから構わないぞ。キミは?」
「一年。……です」
「無理をしなくていい。俺はキミの先輩じゃないしな」
 全く気にも留めていない様子で言われると、初対面とはいえ気遣うのも不毛な気がして、なら遠慮なくと嘆息する。
「にしても、迷惑とか好みじゃねえとか言われても諦めねえって、ある意味すげーな……」
 さてどうしたものかと、一度テーブルに置いていた携帯電話を再び手に取る彼に、火神も徐々に同情に似た思いを向けた。山盛りだったバーガーを全て食べ終えて、残りのコーラに口をつける。よく冷えた炭酸が心地よく喉を刺激していく中で奥の席のストーカー生徒を見れば、また目が合った。今度は火神を観察しているのか、怖々ながらも今度は目を逸らさない。
 直接の被害はないが、こうして監察されるというのは良い気はしない。少々腹立たしくもある。
 ――確かにストーカーだな……。
 話を聞いていても迷惑な行為をしているのは明らかで、忠告と約束を反故にして再びストーキングするということは、諦めていない証拠だ。
 好きになるのは勝手だが、直接言葉にして注意しても引かないとはどういう了見なのか。まだ自分に可能性があると思っているのだろうか。だとすれば相当にタチが悪い。こんなことを繰り返されれば、辟易する。これで学校が同じというのだから、たまったものではないだろう。
 火神は無意識のうちに睨むように男を見ていた。途端、びくりと相手の肩がはねる。それでも自分が悪いとは到底思えず、今度は意図してガンを飛ばし、憂さを晴らすように内心で舌打ちをした。
「――どうした?」
 火神の目線に気付いたのか、携帯電話を手に持ったまま向かいの男がそちらを見る。ストーカー生徒は彼とは目を合わせることもなく、顔を青くして焦ったように去っていった。
「なんだよ、結構ビビりだなアイツ」
「……へえ。予想以上だな。これに懲りずまた何かするようなら、今度は遠慮なくいくか」
「その方がいいんじゃねーの。後輩だとか、色々あるのかもしれねーけど、限度があるしな」
「そうする」
 火神のアドバイスに頷く彼は、やはり本当に困っているのかどうかよく分からない調子だ。だが、こんな話を初対面の火神にしたくらいだから、思うことはあったに違いない。会話をする中で比較的丁寧な物言いをする人物だと感じた火神は、それも相手が引かない原因ではないかと思った。先程の自分の行動を思い起こしてみると、脅すくらいで丁度良いのかもしれない。
「お、来たな」
 さて帰るかとトレイの上のゴミを大雑把に纏めていると、向かいの男が不意に呟いた。見れば、透明のガラス壁越しに見える道路の方へ示すように軽く手をあげている。視線の先を辿ると、彼と同じ制服を着た二人組が応えるように手をあげ此方に向かって歩いてきていた。
「同じ高校のやつか?」
「ああ。ここで待ち合わせをしていたんだ」
「アンタもだけど、あいつらもガタイいいな」
 二人組は鞄の他にも揃いのバッグも肩に掛けていて、運動部であることが分かる。火神には見覚えのない顔ぶれで、グレーの上着に黒のズボン、青のネクタイという制服にも見覚えがないので、この辺りの高校ではないのかもしれない。
「それを言うならキミもだな」
 少し揺れた空気に釣られて声の主を見れば、微かに目元が細められていた。
「結局、本当に助けてもらったな」
「や、べつに。なんもしてねえし」
 互いに荷物を肩に背負い、トレイを持って立ち上がる。椅子を戻しながら、後ろから聞こえてきた快活な声にそちらを見てみれば、彼は仲間と合流していた。
、待たせたな!」
「いや。腹を満たせたから丁度良かった」
 二人のうち、特徴的な髪型をした方が声を掛けた。それと同時に、火神はようやく今まで話していた相手の名前を知らなかったことに気付いた。「」と呼ばれた彼は、仲間と話しながら慣れた様子で包装紙や空の容器を片付けている。
「あのストーカー、どうなった?」
「逃げた」
「ついに本性出したんですか、さん」
 さん、と敬称を付けてと呼んでいることから、もう一人は後輩なのだろう。彼らの会話から考えると、どうやらストーカーの件を知っているらしいので、普段から仲が良いのだろうなと眺めた。そして、相談相手がいたことに、火神は少なからず安堵した。店内で携帯電話を触っていたのは、ストーカーについてやり取りをしていたのだと納得する。
「赤葦は俺のことをなんだと思ってるんだろうな」
「詐欺師ですかね」
「クロサギだもんなァ」
 テンポの良い会話を聞きながら火神もトレイを片付けていく。詐欺師? と頭の中に疑問符を浮かべていると、トン、と手が軽く背を叩いてきた。
「今日、助かった。ありがとうな」
「や、俺マジでなんもしてねえし」
 他の二人の視線が火神に集まる中で、先程交わした内容と同じような返す。本当に火神としては睨んだだけなので、助けたという認識もない。それに、一人でも何とかなっただろうと思っている。
「なになに、の知り合い?」
「いや、初対面だ。混んでて相席になった流れで、あのストーカーの話を少しな。この子が睨んだら逃げていった」
「へー。確かに穏やかじゃない顔してるな。目つき悪いし」
「ああ!?」
「その眉毛どうなってるんだ?」
「そっちこそ髪どーなってんだよ!」
 遠慮のない物言いにカチンときて声を上げるが、どうやら相手は全く気にしていないようだ。店内の客がチラチラと見ていることに気付いて、チッと舌打ちをして気をおさめる。「ったく……」と零して溜息を吐いた。そんな火神にはお構いなしに三人は会話を続けていて、一人で怒っても仕方がないと早々に諦める。
「でも良かったな、。ストーカーが自分から逃げてくれて」
「そうだな」
「また続くようなら、今度こそ本気で言ってやった方がいいですよ。容赦なく」
 それで大抵の人間はライフがゼロどころかマイナスになりますから。黒髪の方がそう続けると、はなんのことだとでも言うように肩を竦めてみせた。
 ――なんつーか、不思議なやつだな。
 火神の中の印象では、は淡々とした中に物腰の柔らかさもあってか、第一印象は大食いの穏やかな人物、というところだった。しかし先程から会話を聞いていると、どうやらそれだけではないらしい。思い返せば、ストーカーの話を切り出した時も、話している最中も、始終落ち着いていて不安そうな素振りは一切なかったが。

 そろそろ出るかという流れになり、四人揃って店から出た。店に入った時には既に日が沈み始めていた空は、すっかり夜色に染まっていた。秋の気配を感じさせる風が柔らかく吹き抜ける。
「俺ら右に行くけど、眉毛くんは?」
「その呼び方やめろ」
「名前なんだっけ?」
 そう言ってに問いかける男に、しかし彼も、聞かれてから互いに名乗っていないことに思い至った様子で「そういえば聞いてなかった」と返すのだった。火神の場合はストーカーの件が衝撃的過ぎたことが大きいが、も大して気にしていなかったらしい。名前を知らなくとも会話が成立していたので、支障がなかったのだ。
さん、よく名前も知らない初対面の人にストーカーの話なんてしましたね」
 ――ホントにな。
 火神は心の中で同意した。いや関係ない人間だからこそ愚痴のような感覚で話せたのかもしれないが、確かに初対面の人間にいきなりストーキングされていると切り出すのはおかしいと思う。
「まあ、これも何かの縁ってことで!」
 何の縁だと心の中で突っ込むが、話をまとめようとしている男は自分のペースで続ける。
「ああ、は知ってるか」
「アンタらが呼んでたからな」
 それまではお互いに知らなかった続けて、同意を求めるようにを見遣ると、その本人が火神の言葉を継いだ。
。三年な」
「俺は木兎! と同じ三年。こっちは二年の赤葦」
「いや、俺まで紹介しなくていいんで」
「眉毛くんは? 同じ方向なら途中まで一緒に行こうぜ」
「や、俺はそこの信号渡って真っ直ぐなんで」
「名前は!!」
「火神だよ! 火神大我!!」
 しつけえ! と些か苛立ち混じりに答えれば、木兎は満足したようにニッと口端を上げて見せた。
「火神な。よっし覚えた!」
「いや覚えなくていいし……。あ、信号変わる」
 その時、丁度信号が点滅し始めたのが見えて、今度こそ三人に別れを告げる。
「じゃあ」
 また会うことがあるかどうかは分からない。だからというのもなんだが、それだけを告げて背を向けた。そういえば、名前は分かったがどこの高校かは分からず終いだ。彼らもバスケ部だったら、試合会場で顔を合わせるだろうかと、そんな考えが頭の片隅を過ぎる。
「火神!」
 後ろから呼ばれて、横断歩道を渡り切った所で振り向く。
「気を付けて帰れよ」
 だった。他の二人も同じように火神を見送るように立っていて、学校は違っていても「先輩」という姿を垣間見た気がした。
「っス」
 火神が短く返すと、彼らも帰路の方へと歩き出す。また賑やかに喋り始める木兎と、それを聞きながら時々突っ込む赤葦、そして二人のやり取りに相槌を打ちつつ、ゆったりと歩いていく
 途切れ途切れに店の灯りに照らされる背中を見送っていると、が静かに振り向いた。暗がりの先で片手を上げる仕草は、まるで「またな」と言っているようで、火神も同じように手を上げて応える。が完全に真っ黒な影になるまでの、ほんの数秒のやり取り。
 信号が青の点滅から赤になり、車が再び行き交い始める時には、の姿は影に溶けていた。それを見届けた火神も、背を向けて歩き始める。不思議な邂逅は案外と心地好く、秋の風と共に少しの寂寥と穏やかな余韻を残していったのだった。



2019.03.23 inserted by FC2 system

inserted by FC2 system